2018/12/15

    

やることは山積みだけれど、今年数回しか会えなかった姪っ子と甥っ子にクリスマスプレゼントを届けに行ってきた。小学生になった姪っ子は前歯が抜けていて、ランドセルを触る姿も板についていた。よくしゃべるわんぱくなどんぐり坊主の甥っ子は容赦なく肩に乗って私をアスレチックの道具のようにしたりくるくると宙返りしたり、元気が有り余っている様子。さすがに対応できなくなってヒーターの前に座る私を見て(無意識で移動していた)、妹は、相変わらずヒーターが好きだし冬は使い物にならないね、と笑った。大好きな家族。いつもありがとう。



photo by kiiko

2018/12/09

   

そろそろ来年の手帳の封をあけなくてはと思って、モレスキンを手にとったらうっかりニューヨークで買ってきたものがハードカバーであることにようやく気がついた。ソフトカバーのだんだん分厚くなってよれよれになってくるところが好きだったのに。旅先で舞い上がって購入したのが失敗だった。

つい先日、12月の新月だった。20代前半に『新月のソウルメイキング』という本を購入してから毎月続けている習慣の一つに「新月にお願いごとをかく」がある。星読みができるわけではないけれど、このいて座の新月から2019年に向けて助走が始まっているような前向き物事を捉えて進んでいけそうなよい流れがあるようで、12月で終わりの手帳に書き込んだ。来年のことは本当に未知数。想像がつかないだけに、いいイメージを持っていたい。

2018/12/05

    

青葉市子のライブがとてもよかったことを記録しておこうと思う。
 
リリースされた最新アルバム「qp」を聴きながら最近過ごしていた。映像はyoutubeで細野晴臣の「悲しみのラッキースター」のカバーをみたことがあるくらいだったしライブも未体験だった。透き通る声とギターの音色を、制作中やただ考え事をしているときにBGMに流していた。
 
知識もさほどないまま迎えたライブは本当にいい意味で衝撃だった。
 
妖しげにひっそりと登場し、静かに腰かけ、動作ひとつひとつゆっくりと行われ、観客の視線を一瞬で集めた。隣に立つスタンドライトでぼんやりとみえる美しい服はmameのものだった。
何曲か続けて歌う声や姿にだんだんと吸い込まれていった。儚い妖精のようにも見えるし、どこかに誘う使者にも見えた。少女のように可愛らしくも、色気のある魔女のようにも見えた。CDを聴いていたときには想像しなかったような歌う姿とその場の空気に何度も衝撃を受けた。
 
あの時の感覚は言葉にすることはとても難しく、またCDをその後何度聴いても同じような感覚にはなれない。ライブの充実感や満足感だけで片付けられないような、すぐに消化することができない気持ちが残っていた。少し浮遊したようにふんわりとつつまれているこの不思議な感覚は誰かと会話するほど現実に引き戻されそうで、足早に帰った。
 
もちろん同じになれなくて当たり前だけれど、あれは青葉市子の魔法にかかっていたのだと思う。あのお座敷はまるで青葉市子の「月の丘」のように招かれた場所だったのかもしれない。月の栄養になっていく、呼ばれた人たち。魔法をかけられた、元の場所へ帰っていくわたしたち。
 
2度とない一夜限りの夢の後、現実に引き戻されることを覚悟して、着信のあったパートナーに折り返し電話をかけた。その時に、本当に相手を愛おしく大切に思えた。ここしばらく、小さなことに腹を立てたり、些細なことが目についていたことを流すことができていた。23度の冷房から出てきた妖精が丸めてもっていってくれたのだろうか。
 
優しい気持ちがずっと残って、余韻が続いている。
小さくなっていた自分の世界に風と通してくれたように思う。

 
 

2018/11/06

   

この間、思い起こすように書き溜めたMOMAでの出来事が誤って消えてしまって、すっかり書く気を落としてしまった。しかし書いていたときに気づいたのは、今でも「夢」に出会うまでの自分の胸の高鳴りや目にしたときの抑えきれない感動は、覚えているということ。その時に出た涙のように目頭がじんわり熱くなり、絵の中に入り込んでいたときの感覚がちゃんと体に記憶されていると実感できる。ニューヨークがとても楽しかったという感想より、MOMAに行けたこと、ルソーの「夢」をみて心がとても揺さぶられたこと、モダンアートの面白さを実感できたことで十分だった。

小さな頃から母親に連れられて美術・芸術にふれる機会がたくさんあった。美術館に行くのも、いろいろな作品を見るのも好きだったけれど、アートの見方がわからないと思っていた。感覚的に好みかそうでないかや、すごいなぁ、不思議だなぁ、という単純な感想だけだった。でもだんだんと画家にどんな背景があって、どんな時代を生きて、どんな思いだったか想像したり、自分をどこか重ね合わせてみたりすると面白くなってきた。楽しみ方は自分の中にあるのだと知った。

印刷や画面でみるのと、本物は全く違う。自分の目で確かめたい。

2018/10/26

   

旅の続きを一向に書き残しておかないまま、もう帰国して1か月ほどすぎてしまった。記憶はだんだんと薄れていく。あのときの感動も、目にしたものも、少しずつ霞んで日々やること過ごすことに精一杯になってしまっている。前回フィンランドから帰ってきたあと、残した日記の最後の一言に「旅するように生きていたい」と綴っていた。果してその感覚を持ち続けてこれたかな?と思うのYESとはとうてい言えないのだけど、それでもフィンランドのあとこのニューヨークの一人旅の期間には別れも出会いもいろいろなことがあったなと思う。(あれ?振り返るのがニューヨークの旅ではなくて過去2年間くらいになっている。笑)

2018/10/03

     

ニューヨークにいた日々が遠い過去のようになりつつあります。感動した気持ちを忘れないように、新鮮なうちに言葉に残しておこうと思っていたのに帰国してから早2週間です。

旅の目的はMOMAにある、アンリ・ルソー作 「夢」を観ること。原田マハさんの『楽園のカンヴァス』を何度も読み、死ぬまでにこの絵の前に立ってみたいと思い続けてきました。出発の数日前からなんとなく行き先をピックアップして、スムーズに入場する方法、美術館やお店の営業時間、休みなどを確認して、MOMAに行くのはニューヨークに到着して3日目に予定していました。(はじめは違うところに行き、目的の場所は中盤に取っておこうとする気持ちと休館日なども間に挟んだため) ところが行きの飛行機で再度読み返し、鼓動がおさまらないのです。いよいよ長年会いたいと想い続けてきた人に会えるような気持ちで落ち着かない。本の表紙を眺めてみたり、座席のポケットにしまったのにまた取り出したり。そうこうしているうちにJFK空港に到着しました。

日本にいる間にUberのアプリを取って、生まれて初めて呼び寄せたドライバーは笑顔が素敵な高評価のインド系の男性でした。カレーが好きなのでオススメのお店を聞くとちょうど宿泊先のホステルから徒歩圏内にあると行って、お店に寄り道してくれました。(後に滞在中に行ってみました)「どうしてニューヨークに来たの?」と聞かれたので「MOMAに行くため」と答えると、「今日行くのかい?」の返事に迷いが出てきた。

スーツケースを預けて、地下鉄に乗って、街へ向かうことに。


#newyorktrip

2018/05/19

     


 上映最終日、ほとり座にてニワトリ★スターを観てきた。DV・レイプ・ドラッグなど、観ていて気分が悪くなるシーンもあったが、終わってみるとひとすじの希望と元気がもらえる映画だった。
 上映後のかなた狼監督と井浦新さんの舞台挨拶で、「現実で起きている残忍な事件や様々な暴力(体に受けるだけでなく心に傷をおうものなど)があってもニュースではどこか他人事のようで、むしろ映画で観るシーンから悲惨さや恐ろしさを実感する場合もある。観る側の咀嚼の仕方によって何かのきっかけになることが映画の役割である。」と話しておられた。こういった表現が昭和の時代には当たり前のようにあって、それが表現として人々の間で認識され娯楽としてもとらえられていたのが、地上波で上映不可なことはもちろん、いろんな規制がかかって表現の幅が狭まっている現状を製作する角度から話される言葉には蓄積されたフラストレーションが感じられた。「気持ち悪いと感じられるのが自然な感情なんです。これに慣れてもらっては困る。」 激しいシーンを監督は怒鳴りつけながら撮影されたそうだ。中途半端なことを一切せず、しっかりと見せるすごまじい熱量から、どれほど神経をすり減らしてこの作品ができあがったのか、直接聞くことができたのはとても貴重な時間だった。これだけ本気で作られた映画を久しぶりに見たように思う。重ねて観ると、いろんな捉え方ができる作品だった。映画っていい!って心から思えた。


2018/04/28

   

 夏のように暑い東京は陽射しが強くて、歩くとだんだんと体がベタベタした。ビルの隙間を歩くと影はまだひんやりしていて、温度差に体がついていかない。
 ガラスの外では太陽を浴びた若葉が風に揺れており、クーラーがきいた屋内のフラワーマーケットはまるで避暑地のようだった。花瓶に入ったたくさんの瑞々しい花たちが艶っぽい姿を見せている。大好きなラックスのラナンキュラスやライラック、鉄線を見るとホテルに飾る用と夜に会う友人にプレゼントしたい、と衝動に駆られたがこれから始まる1泊2日の旅で、まだまだ外を歩くのだから確実に持たないからやめときなさいと何度も釘をさされた。選びたい花は暑さで弱ってしまいそうな花ばかりだったから。わたしは花を買う楽しみを諦めたけれど、帰り際に暑さに強いワイルドフラワーを1本買ってもらってサッと包んでもらった包みを持つと、一段気持ちが上がったように嬉しくなった。花を持つと幸せを連れている気持ちになる。出店の時に買いに来てくれるお客さんがみんな嬉しそうに花を抱えて歩いていくときの気持ちを味わった。




 夜には東京に住む家族のような友人夫婦と一緒にご飯を食べた。初めて紹介するパートナーと友人夫婦は初対面とは思えないほど楽しそうに仲良く話していたので、嬉しくなってわたしはおとなしくしていたけれど、家にある物の多さとか、掃除が苦手なことを3人からつつかれて気が小さくなった。普段は早朝から夜まで働きっぱなしでほぼ休みのないパートナーは電車に乗って飲みなおす店へ移るのも新鮮で楽しそうだった。夜の気温の低さは少し火照った体にちょうどよくて眠らない街の熱気にドキドキした。1日歩いてお酒も飲んで帰ったホテルでベッドにダイブするといつの間にか寝落ちしてしまって、体の気持ち悪さで起きてシャワーを浴びたのは午前1時だった。(もし花を買ってもこの日は部屋で楽しむ余裕はなかったかもしれない。旅先で賈う花を部屋にいけるのは好きなんだけどな)
 翌日は予定外で栃木の足利まで出かけることになった。「藤棚を見に行きたいね」と話していたのは去年の秋頃だろうか。いつになるだろうと期待していなかったことがこんなに早く実現するとは思わなかった。今年は花の季節も駆け足。通常5月に見頃の藤が4月中旬になった。フラワーパークはたくさんの観光客であふれていて、蜂も甘い蜜を吸いにやってきていた。人も虫も、花に引きつけられる。花の魅力はこんなにも偉大だ。その反面、人の多さにはげんなりしてしまった。この数年で海外の観光客が驚くほどに増えた事をここでも実感した。自分が地元に住んでいてチューリップフェアに行かない感覚と同じだな、と思った。おそらくこれが最初で最後の藤棚だろうな。



 
 誕生日もお祝いしてもらった。選んだのは勿忘草のペーパーウェイト。この嬉しさをいつまでも大切に想っていたいから。忙しい中貴重な時間を作ってもらった感謝の気持ちも忘れずに。



2018/03/10

    

 友人に紹介したい人がいると誘われてそのご夫婦の新居を訪ねた。エプロンを付けたスーパー主夫(ちゃんとお仕事もしていらっしゃいます)と赤ちゃんを抱っこした奥さまが迎えてくれた。お2人ともデザイナーで(奥さまはフィンランドに留学経験もお持ち)そのセンスが存分に感じられる家。ランチには旦那さまの研究を重ねたカレーとサラダ、食後には奥さま手作りのフィンランドメイドのブルーベリータルト。もてなしの気持ちと過ごした時間がとても心地よかった。(去年の初めに思い立ってフィンランドにいき、花瓶など買い付けて帰って来てから早1年。街を歩きながら、暮らすように過ごした数日が蘇ってきた。旅では一人だったとはいえ、あの感覚を日本で味わえるなんて。) どこかへ出かける刺激も旅ももちろんいいけれど、こうして友人と会い、家で食事をして、コーヒーを飲みながらあれこれ話す中にも十分に刺激と幸福感があった。時間軸が違う空間だった。それはきっとあのご夫婦と2人がこだわって作った空間に詰まっていた。
 
 「丁寧な暮らし」とか「洒落た空間」とかあるけれど、雑誌の中のような感覚、非日常というか。でもこの家はそういう類の空気ではなくて、本当に自分たちの住みたい空間と暮らし方を実現していてる感じがした。(もちろん小さな子供がいる家では隠し切れないものとかあって生活感が出たとしても、気にならないというか。赤ちゃんがいる家族で暮らしている現時点、という感じ)そういうところが北欧の空気が体に流れていた奥さまとデザイナーの旦那さまと、その想いをかたちにできる設計デザイナーさん(と施工できる職人さんたち)がいて、真剣でまっすぐな本物をみて、しゃんとした。
 
 


2018/03/06

      




 
 ひらすま書房さんでひらいたトークナイト「小さくても よいしごと」が終わりました。サブタイトルに -好きを仕事にするには- とあったけど、この会は仕事を辞めて好きなことをしてもらうことを推奨するのではなくて、自分らしい働き方や生き方を見つけたり探していくヒントやきっかけになったらいいなで開いた時間。(もちろん好きなことを仕事にすることを選んで生きていくのはいいと思います。)働いていれば、仕事について、職場について、自分自身についていろいろと考えたり悩んでしまうもの。参加してくださった方は、今の仕事に退屈な気持ちを持っている人から、アルバイトをしながら自分の好きなことにやっと気づいた人などがいらして。今回はひらすま書房さんがいくつかテーマカードをご用意してくれたので、参加される方が聞きたいテーマを選んで、わたしがそれについて話す、という形式になりました。

 花を触るようになったきっかけ、どんな風に今に至ったかなど ぼんやり思っていること考えていることなどを話しつつ、参加される方の質問にも答えて、そこからまた会話が広がっていく、、、というアットホームな会でした。予定時間終了してからの方が、みなさん気持ちがくだけてお互いいろいろ話せたんじゃないかな。
 普段お花を届けるときには相手の顔が見えたり、受け取った瞬間の空気がダイレクトに伝わるからわかりやすい。けれど、今回のトークは内容を聞いた人が自分の中で感じたり考えたり、その後何かのきっかけになることもあれば直接的には関係しないかもしれないので、結果として目に見えるものがなく(こんな感じでよかったのかしら~と)考えるところはあったけれど、ひらすまさんは自分の考えや経験してきたことと重なって、参加する方に自分が伝えたいと思っていたことを代弁してくれたと言われて、ほっとしました。帰りに球根つきのクロッカスをお土産に。みなさんのお家で花開かせているかな。

 わたしはひらすまさんのお気持ちでいただいたお心遣いをさっそく使い果たして、ひらすま書房でずっと気になっていた写真集を購入しました。新しいインスピレーションをもらって、また楽しい制作意欲に変えていこう。


2018/02/04

   

 妊娠や出産を経験したことがない私が、お腹にいた赤ちゃんを死産という形で出産しなければいけないお母さんの気持ちはわたしの想像してみる悲しみがペラペラに思えるくらいきっともっと深くてもっと心と体にずっしりと響いて、とてもとても簡単に言葉にできない。予定通り生まれてくるなら6月に、おめでとうっていってもらえるはずだったその赤ちゃんとお母さんに贈る供花を依頼されてお引き受けした。他の方から白い花はたくさん届いているだろうから、供花らしくなくてもいいのでお任せしたいと言われて、依頼のときに唯一指定された6月に咲く紫陽花を使って、小さな赤ちゃんのほんの少しだけ残った遺骨と並べられるくらいの小ぶりなアレンジを作った。
 
 花はそっと心に入っていやし寄り添ってくれる。言葉にできない思いや駆けつけたいけれどできない(あるいはするべきでない)ときにも代弁してくれる。ただそこに、小さくても力強くいてくれる存在。
 のちに枯れていっても、色褪せていっても、記憶とその人の気持ちを残しておけるような花を作っていきたい。
 


2018/01/28

   

 
  「ごはんでもいきましょう」って社交辞令も多いけれど、お互いの予定を調整できるよう昨年末から連絡をしてくれて、あぁほんとに実現するって嬉しいな、と素直に思った。仕事とプライベートでの印象は少し違って、ちょっとラフな雰囲気が親しみやすく感じた。その人は自分の感覚を大切にしていて、外へはアンテナが張られていて内は物事を静かに見つめるような目があって、久しぶりに日頃にない刺激をもらった。焼菓子をもらったお礼に渡した花束が窓辺にそっと飾られている写真を見て、嬉しい反面そこに自分がいるような気がしてちょっと恥ずかしくなった。

 あ、贈り物ってそういうものなんだなぁとその時思った。洗面所に立って手にする手づくりのヘアバーム、THREEのスキンケアやBULYのボディクリーム、たくさんの器たち。プレゼントしてくれた相手をふとしたとき意識する。物が多くていろんなものが埋もれてしまっている我が家をもう少しすっきりさせることができたら、ひとつひとつがもっと際立って存在感が増すだろう。

 花が飾られ整理整頓された一枚の写真がそう教えてくれた。

2018/01/24

    

 先日の大雪よりさらに大雪となる大寒波がやってくると聞いてそわそわとしてなんとなく眠れなくて、Netflixを見ながら夜を過ごした。(いや、むしろ見ることに夢中になってたら朝だった。)明け方になり戸をあけると吹雪いておりまた一面真っ白だったけれどそれほど積雪がなくてようやく少し眠ることができた。

 ある方から植物をガラスの中に閉じ込めた美しい作品をみせていただいた。植物はガラスの中で水分は気泡となり熱で燃えて白く灰になっているけれど、どんな姿をしていたかわかるくらいシルエットが残っていた。そのとき氷河の塊に耳を当てるとプチプチと音がする映像をテレビで見て、ずっと昔の何年も前の空気が音になっていると知って、過去から現在を結んだようなタイムカプセルを今開けたような気持ちになってとてもドキドキしたことを思い出して話して、感動が2倍に膨れ上がった。こんな風に一瞬で心をつかんでしまうようなもの、久しぶりにみた気がした。

 帰ってからひとつだけ折れてしまっていたパンジーを押し花にすることにした。花束になり損ねて取り残されても愛らしいフリルに見とれた。押し花も、どこか感覚が似ているように思えた。今日のこの嬉しかった気持ちをこの花に込めて、残しておきたくなった。
 


2018/01/21

     

 
 今年から定期的な(ときどき不定期になりそうな)ワークショップのはじめての回を先日終えた。お仕事したり家事もしたり、慌ただしい毎日の中でこうして同じ時間を同じ空間で過ごすこと、参加してくださる方がいらしてありがたいなぁと思う。今回もまた、みなさんの優しさやお花の力を感じた。
 
 昨年はじめに北日本新聞で写真家のテラウチマサトさんが富山の文化人を訪ねるコーナーに紹介していただいたのを見てくれた女性が前撮りのブーケを依頼してくれて、今回お母様とお友達を連れてご参加されたり、昨年末の山内マリコさんのラジオにゲストで呼んでもらって放送を聞いた女性がお一人で申し込みしてくれたり、どこかで何かがきっかけで、誰かとわたしが花を通してつながっていたことがこういうワークショップを開催することでお会いすることができるのだから本当に嬉しい。
 
 わたしにとっても先輩にあたる世代、同世代、ちょっと若い世代の女性たちが集まる。自分と花の時間を黙々と楽しみたい人もいるだろうし、人見知りでこういった場所に一人で行くのをドキドキしながら来る人もいるだろうし、いろんな気持ちを抱えてやってこられるだろう。時にはわたしに会いに来て下さる方も。初めはちょっと身構えてしまうけれど、そのうち前に座っている人とちょっと会話も楽しんでもらえたら。意外に人生相談できたり、誰かの一言がきっかけで何かを後押しされたり、ヒントが落ちていたりするもの。そういう時間にもなったらいいなと思っているので、ぜひいろんな方の小さな刺激になりますように。
 
 そしてもちろん男性にも参加してもらえたらいいなと思っています。彼女に奥さんにこっそりプレゼントしてみようと思う方がいらしたらホント大歓迎です!きっと一緒に参加される周りの女性たちは、なんて素敵なの~!ってウェルカムな気持ちのかたばかりです。
 


2018/01/20

    

 
今年初めての舞台は「かがみのかなたは たなかのなかに」。不思議な感覚でストーリーに引き込まれていった序盤、笑えるシーンがあってコミカルな喜劇かな?と思ったら、なかなかダークな一面も。ポップな要素とシリアスな要素がまぜこぜ、言葉も鏡でときどきあべこべ。そして終わってみたらなんだかズシっときている自分。(隣にいるパートナーも。)
 鏡に映ったわたしはわたしだけど、でも鏡だからもしかしたら自分と反対の面だったり(ポジティブとネガティブ)、普段は隠してある本当の部分(本音と建て前)だったりするのかもしれない。クライマックス、こう来るとは思わなかった、人間のいろんな面がいっぱい見えてきてぐーるぐる。ファンタジーなんだけど、なんだか怖い。そういう面白みがあって、出演される方たちはもちろん音響、照明、衣装、セットなどすべてがこのお話をドキドキワクワクさせてくれた。子どもにも向けたこの舞台は、子供がみたらどんなことを想像するんだろう。大人はどんな感想なんだろう。話してみたい。
 そしてこのお話を書いた長塚さんの想像力ってほんとすごい。

2018/01/19

      


大して着ていないのに洗って縮んで、しかも虫に食われてしまったセーターでさえもらって嬉しくて、裁縫上手な母のもとへ向かいお直し方法を教えてもらった。ミナペルホネンへでかけたときに購入した端切れがここで活躍し、ブランケットステッチで縫い合わせた。(この直ったセーターをみて、「ミジンコがついている」というパートナーを、それくらいの感覚の人で良いのかもしれない、といい意味で思った)
 

 
帰ってから、衣替えのときに穴に気づいてしまったままのセーターをひっぱりだし、さらに穴埋めする。
  

 
一つのことをやりはじめると、すっかりのめりこんで深夜になった。穴を埋める作業は単純で、一針さしては糸をかけの繰り返し。

折り合いはついていて納得してて前に進んでいるのに、いつまでも引きずるように顔をのぞかせるのはそれだけ自分にとって流せない出来事なのは事実だけど、少し時間が経ったら考え方を変えることができたり、涙とともにいっしょに流せたりする。比べたり、いつまでもこだわっていたら、大切なことを見失ってしまいそう。だって自分にとって大事なことだと再確認したんだから。話すことを受け入れてくれる懐の深さに感謝します。話すことで助けてもらえることもあるんだな。




2018/01/08

     


 新年あけましておめでとうございます。

 昨年もたくさんの方とお花を通してつながり、いろいろなご縁がありました。ワークショップをしたり、マルシェに出店させていただいたことで普段オーダーしてくださる方やインスタグラムを見てくださっている方とも直接お会いしてお話することができ嬉しかったです。春の入善のよいもの市も、冬の氷見のうみのアパルトマルシェも寒かったなぁ。夏のアパルトマルシェはものすごい人で、しかも暑かったなぁ。そんな中足を運んでくださったみなさんも、もちろんオーダーなどでご連絡くださったみなさんも、本当にありがとうございました。

 今年はどんな年になるだろうとワクワクしています。そしてちょっと不安というか、初めてのことでドキドキしますが今まで不定期で開いていたワークショップを、今年は毎月開いてみることにしました。ギフトなど特別なお花だけでなく、日常の花にフォーカスして日々の暮らしの中にちょっと花を飾る楽しみや、お仕事や子育て、家事、人間関係でちょっと心が可愛くなくなってしまったり元気をなくしてしまったときに植物が持つ瑞々しい力を感じてもらえたらいいなと思っています。ドライフラワーのリースやスワッグの回はもちろん、生花を飾る回も予定しています。特にこれからはわたしの大好きな春の花の季節です。アネモネ、ラナンキュラス、チューリップ、色鮮やかな花がならびます。冬は生花も長く持つのでおすすめですよ。
ぜひ、ご参加おまちしています。




 
 お正月は大好きな母の御節とお雑煮を食べ、家族でゆっくり過ごしました。姪っ子と神経衰弱をして、ようやく原田マハさんの『たゆたえども沈まず』を読み終えました。甥っ子はだんだんとよくしゃべるようになり、何度も絵本を読んでといってわたしの上に乗ってきたり、抱っこしてとせがんでくる姿も可愛らしい、、、とついつい調子に乗っていたら体が筋肉通に、、、、、。
 たっぷりと寝て疲れも取れてから、パートナーと金沢へ出かけました。久しぶりの外出で連れてきた犬が大喜びして、まさかのスカートの上で嬉しおもらしをするという初笑い。(お気に入りのhykeのニットスカートが水分で重く、、、笑。今まで飼っていてもこんなことなかったと言っていたけれど)急遽パンツを購入して着替えて再出発したけれど、道中私の様子を伺ってパートナーの膝の上からチラチラとこちらを見るので、「怒ってないよ~おいで!」というと嬉しそうにこちらに飛び乗ってくる姿もまた愛らしかった。お互いにささやかなプレゼントを贈りあってご満悦で美味しいぜんざいとわらびもちを食べて帰ってきました。今年も仲良く笑って一緒に過ごせたらいいな。