2019/02/22

悩むと考えるは違う

あぁ、また気配りするポイントがずれているんじゃないかな?と対応を見ながら思う。そしてわたしはまたがっかりさせられている。やったこと自体が悪いのではなく、それをするまでの考えが何もなく、思いつきのようで浅はかだなと感じるところに腹を立てているのをきっとわかっていないだろう。(ただ拗ねてるぐらいにしか思っていなさそう。)物事の考え方や価値観がピタっとはまるときも違和感を感じることも、どちらもあるというのが自然なのだと思う。むしろ何もかもが同じ方が不自然なのだ。(世の中にはほんとうに似たもの同士の場合ももちろんあるだろうし、それが自然な人もいるだろうから、これは私たちの場合だ。)今までは傷つくことがあるたびに、その生じた出来事と自分の感情だけに覆いかぶさってしまって、負のループから全然抜け出せなかったのだけど、この頃やっと(すでに起きてしまった)事実として受けとめて自分のその時の態度を客観視したり相手のことを考えたり、関係を見つめ直すことが少しだけ、できるようになってきた。悩むと考えるは違う、と以前勤めていた事務所のKさんに言われたのを思い出した。検索してみると、悩むは思い煩い過去の視点で捉えつづけること、考えるはゴールに向かって未来の視点で物事を捉え変化を起こすプロセスのことだそうだ。きっと未来をよりよくしたいという気持ちが、ある日扉が開いたように悩むと考えるの違いを気づかせてくれたように思う。こうしていろいろぼやいているけれど、大事な人と、大事な人が大事にしている人たちと一緒にいる未来を思っているし、私に関わってくれる人も自分自身も楽しく気持ちよく生きていける未来を想像したい。

2019/02/20

香り × オペラが最強説?

人の脳は自分のことを認知できるのは3%なのだそうだ。残りの97%の中に無意識の本音が隠れていると言われていることを知った。無意識の中にある、自分が本当にくみ取りたい本音をどうやってキャッチしたり自分の行動におきかえていけるのだろうと思っていたときに、そもそも直接脳に働きかけることがいいのだと気づかされることがあった。

テレビを見ない(そもそも家にない)わたしは、(...つまり現在放送中の富山第一銀行さんのCMに出演させていただいているにも関わらずテレビではみる機会がない。ちなみにyoutubeにアップされていることを友人から聞いた。)このごろポッドキャストにはまってよく聞いている。興味深かったのがマウス実験で音楽を24時間聞かせたところ、「椿姫」(オペラ)を聞いたマウスの心臓は長く動き、昭和の名曲やHIPIHOPではそうはならないそうだ。音楽や匂いなどを繰り返し体に染み込ませることによって体内にこうした変化が起きるとその研究された先生が言っていた。本人がこうなろう、と思ってなれるものではないのだ。

五感の中でも嗅覚は直接脳に働きかけると言われている。このことを教えてくれたのは香りを愛する友人からだ。香りの情報は大脳辺縁系というところにダイレクトに届く。大脳には古い皮質と新しい皮質があり、香りは古い皮質に結びついている。ここが、人間の本能や喜怒哀楽などの情報を支配していると言われている。新しい皮質は思考や記憶と結びつき、理性が働くのはこちら側だ。大脳のうち、90%以上は新しい皮質で占められているのだそうだ。

そうなると、10%未満の大脳辺縁系の古い皮質のうちの97%はまさに無意識の無自覚のゾーン。(そんな単純な計算なわけないだろうって思ってしまうけど)香りとオペラ。この組み合わせ面白そう。

2019/02/14

誰のものでもない

ある日Tさんから電話がかかってきた。今年仕込んだ生ハムがあと2ブロックになって誰かに分けたいと思ったら、ちょうど私からの手紙が届いたのだそうだ。Tさんは国語教師の定年後から趣味でゴム判子絵を制作している。出会ったのは3年前で、私が企画担当していた展示にきてくださりご自身の作品を見せてくれたのがきっかけだ。名刺サイズの作品に詩的で独特の世界が広がっている。擬音語が混ざっているリズムの良いタイトルは口に出してみたくなる。多いものでは1作品に20種類の版があるそうだ。新聞記事の写真や週刊誌の広告、いつも作業しているダイニングテーブルから見える景色など作ってみたい題材があちらこちらにあると言う。

Tさんは生ハムを少しスライスしてくれ、他にも作ってあったハツのアヒージョや鯛の子の煮付けを小鉢に入れてくれた。昼間から飲みたくなるようなメニューだった。コーヒーに少しだけウイスキーを入れて、その後は焼酎を飲みながら話してくれた。

「70歳になってもなお制作意欲が消えることなく、目も元気なおかげで緻密な作品を作り続けられる。(会った時点で477点のゴム判子絵ができている)10日間ペースで作品が完成していくのだけど、ここまで作り続けれる自分、その意欲が湧き出るところはどこなのか、このような自分に自分自身がなりたいと思ってなっている訳でもなく、両親がこのようにした訳でもないんだなぁ…」と不思議そうに言う。「いろんな景色を見たり、人から聞いたり、書物を読んだり、そうして蓄積されたもので自分が成り立っていると思うと、自分の頭の中にあることや考えていることはどこかから誰かからもらった知識だったりするからそう思うと自分自身が持っているものとはさほど何もないんじゃないかと。考えていることは自分だけのものではないような気がするんですよね。だからだんだんとこの体も借り物のように思えてくるんですよ。西洋で言うならば...God、神が作ったとでも言うんですかね。」

流れに逆らわず、されど流されず。肩の力が抜けていて言葉に淀みがなかった。この共有している時間が奇跡のように思えた。帰りに新作を一枚くれた。手帳に挟んでおいた。生ハムは近日中に食べよう、美味しいワインを買って。

2019/02/08

物に宿る力

わたしの家はとっても物が多い。旅先で買ってきたもの、プレゼントでもらったもの、拾ったもの、いろいろある。今年の目標は「整理整頓」「断捨離」と書初めで書いたけど、早速この間HOUSEHOLDに来ていたやわい屋の行商でずっと欲しかった飛騨の妖怪を手に入れた。家族や子どもの成長を見守る妖怪。一つ目でにやりとした表情がとても気に入っている。

おまかせでオーダーしてもらえることが多いので、依頼内容とかオーダーしてくれた方の人柄とかを汲んで、遊べる振り幅を感じたときはお守りや魔除けのニュアンス加えた、普段作るリースやスワッグとは一味違った飾りを作ったりしている。そもそも、リースもスワッグもそういった意味合いがあるものだけど、近年はすっかり浸透してカジュアルなものになってきた。(贈り物にも選んでもらえるから嬉しい。)今まで作らせてもらった中でも印象に残っているのが、シッサスオバータ(ぶどうのつる)を三つ編みに編み込んで中に珊瑚を埋め込んだりフランスのブリキの飾りをつけたりしたお守り、唐辛子いっぱいの魔除けスワッグ、クロスの壁飾りなど。

祈りや願いを何かに託すこと、物に宿る力を人々は昔から信じてきた。私に頼んでくれた人へ気持ちを返したり伝えていくとしたら一つ一つ大切に作っていくことしか出来ないけれど、見えないけれど信じられる何かや伝わるものはあるような気がしてる。

2019/02/04

言葉を綴じる日々

Mさんはとてもパワフルな女性だ。県内にいくつも教室を開いており、障害を持つ子の支援をし、ライブパフォーマンスや制作など自身の活動もしている。物事をはっきりと話す第一印象に強さを感じられて、当時企画担当者としてなら対等にやりとりできたけれど、プライベートで会っていたらそのパワーに圧倒されていたんじゃないかなと思う。心の成熟度が違いすぎたせいだと思う。その後コミュニケーションを重ねていくと、面倒見の良い姉御肌の面や謙虚で努力家な面を知って展示を終えた後も時々やりとりしている。(きっかけはMさんがくれるのだけど)
今日は私がすべきことの手助けをするようにタイミングよく連絡をくれて驚いてしまった。「2019年は整理して、的を定めて進んでいくように。行動は元気よく大胆に。全てにおいて謙虚な気持ちで感謝を忘れずに」と言われたのがとても心に響いた。

2019/02/03

善意ってなんだろう

いつもの通り道で橋を渡る。朝の澄んだ時間と、夕日が落ちかけている時間のその橋から見る景色が好きだ。片方は工場地帯、反対はもう海へとつながっている。岸にはボートがいくつも並んでいて、時には丸太が転がっている。コンテナが積み上がっていて、その奥にぼんやりと、時々くっきりと立山連峰が見える。ちょっと異国に来たような気持ちになる、この寂れた町が結構気に入っている。

昨日の帰り道はもう暗くなっていた。その橋を渡り道がカーブし始めたころ、歩道側ではない橋の脇に人がいるのを見た。リュックを担いだ人が一人、ちょうどしゃがむタイミングだった。普段なら考えられないところに人がいたので驚いた。一瞬のことで状況を把握できなかったけれど、暗かったから写真を撮っているようにも見えなかったので(本当はそうだった場合もあるのかもしれないけど、例えば気分が悪くなったとか、何かに追い詰められているとか?といろいろ想像し始めて)近くの交番に連絡をした。30分から1時間ほど経って、対応してくれた警察の方から連絡があった。現場に行ってみたけれど誰もいませんでした、とその方は淡々と話した。連絡したことが余計なことだったのでは?と感じさせるような声のトーンだった。両さんのような警察官って漫画の中のキャラクターでやっぱり威厳があって怖くて近寄りがたい存在だなぁと思わされた。

自分が正義感が強いとは思っていないし、適当なところもいっぱいあるし、全然できてないことだらけで、この1回やったことを持ち出す時点で小さい感じだけど、でも私は嘘を言ったわけではないし、困らせたかったわけでもない。目の前にあることを全部は拾いきれなくても、自分の心に引っかかったものについて考えること、小さな行動をするだけでも何かが変わると信じたい。少なくとも、見逃していた自分からは変われそうな気がする。

2019/02/02

戦友

まだリースを作っていることを知っている人がかなり少ないころ、Eちゃんは当時20代前半だった。私にオーダーしてくれる人の中では最年少だったのではないだろうか。周りにあるものは全て敵ってくらいに斜に構えて、ちょっとエキセントリックな雰囲気を感じさせた。贈り物をしたい時はよく声をかけてくれた。陰ながら私の花の活動も応援してくれていることや、彼女の繊細で思いやりがある純粋な性格がだんだんとわかってきた。それから数年経ち、初めて会った時とは別人ではないかと思うほど明るくなって、自分のことをハキハキと話してくれた。彼女は過去の自分と向き合い、そのおかげで本当にしたいことを明確にして今は「学びたいことがあるから大学にいきたい」と夢に向かって走っている。

結婚や出産、キャリアを積んだEちゃんの友人たちが自分の目線やものさしで彼女へ伝えるアドバイスは、やっぱり年齢や性別、社会のイメージから来るものもあると感じた。私の中にも根深いところにはまだまだそういった価値観が残っているとは思うけれど、100%の気持ちでエールを送れたのは「言葉」に支えられることがあるのを実感したばかりだから。いつも側にいてくれることや頻繁に連絡を取ること、甘えられる関係が支えとなるすべてではない。私が泣くほど嬉しかったように、目の前で涙する彼女もまた、きっと不安な気持ちはもちろんあって、でも自分に嘘をつかないために、後悔しないためにその生き方を自分の意志で選んでる。進む道は違うけれど、きっと戦友ってこんな感じかもしれない。