言葉では言い表せない気持ちになることがよくある。タイプしてみては保存して、そのままにしてしまっていることがときどき。ふとした時にここを開いてのちに読み返してみても、やっぱり同じ気持ちになっていることがあって、結局悶々と悩んで考えている時の逃げ場所なのかも。ほぼ独り言です。(それをこうして人が見える所に書いているって内面をあけすけにしているだろうか。)
オーダーしてくれた方のことは納期が迫っているのはもちろん、気長に待っています、と言ってくれた方のことも、ずっとどこかで考えている。どうしても日が近いものから優先してしまって、エンドラインが決められていないことに関しては緩くなっているかもしれない。でも忘れていないです。お待たせしてごめんなさい。全部大切だから順番にやっているつもりが、それが結局後回しのようになり、そう受け取る結果相手も傷つき、自分も傷ついてしまうこともある。幸せやドキドキ、気持ちいい風が心をふっと通って行ったらいいなと思ってやっていることが、逆の思いをさせてしまったら悲しさはこんなにも自分に重く響くのか。きっと相手も悲しい思いをしているに違いない。
最近知人に引き合わせられて、ある写真家の方から取材を受けて、「なぜ花を扱うのですか?花が好きだからですか?」と聞かれて答えた。「たまたま花でした」と。人を笑顔にしたり、人と人をつないだり、人と花をつないだり、小さな幸せのひとさじになれたらと思って、きっとできることはなんでもよかった。ただ、色や素材感の組み合わせや季節を感じること、初めて社会人になって働いたインテリア事務所での本当に色々な経験と幼少期に母と過ごし学んで感じたことが今に繋がっているように思う。
その人は初対面の私に少しあえていじわるに聞こえるかもしれませんが質問しますね、と前置きしてさらに話を進めた。人に聞かれて、普段言葉にしなかったことが、スラスラと初めて会う人に話せた。言い表せないことを引き出してくれる人に出会えることもある。
存在感たっぷりのカメラには緊張して笑ってごまかした。果たしてどんな顔をして写っているだろう。どんな風に見えて、感じて、書かれるのだろう。
人は誰もが傷つくし、悩んでいるものだけれど、前向きに明るく毎日を過ごしたいという気持ちはきっと同じで、私もそうありたいと思っている。(実際は小さなことをいつまでも考えて、些細なことも全部拾って考えて自分自身につぶれそうになったりして、7個下の妹にお姉ちゃんもっとしっかりしなよ!と喝を入れられる始末。)
こういう自分を元気にしてくれるのが花だったりするんだよな。結局私自身がお花にいつも力をもらっているんだよな〜と思うので、そういうハッピーを届けたい、だからやっぱりお花が好き。