2017/12/24



 大人になってから知り合えた人の中に、その期間の長さに関わらず自分が自然体にいられて、打ち解けて話せる人が時々現れる。

 知り合ったのはもう5~6年は前だけど、先日初めてゆっくりと話すことができた。普段、思考や感覚を言葉にするのは難しいときもあるけれどそれでも言葉にしてみると、お互いの嗅覚で共通する部分を感じ取っていたのだと確信した。彼女の感覚は鋭くて、優れていて、そしてとても繊細。初めて会ったときから異色を放っていて、わたしはその独特の雰囲気を彼女の魅力として感じていた。まだお花を触り始めたばかりのころは、今のようにリースを飾ったり送ったりする人はほとんどいなくて、ドライフラワーに対するまわりの意識も今ほど向いていなかったように思う。私自身はドライフラワーに対するマイナスのイメージは認識していたけれど、それより色が残る花を探したり、いろんな花を花屋さんで買ってきて、飾って、それがドライフラワーになっていくこと、姿が変化していくのをみることに興味がむいていたからただ自分が夢中になることをやっているだけだったけれど、そんなときから彼女はわたしの花を好んで飾ったり、送ったりしてくれる人だった。それからお互いの時間が流れて、こうしてピタッと交わるタイミングがきて、ゆっくり乾杯することができて、とても嬉しかった。そしてこの先、信頼して話せる友人ができたと思えた。(これをみたら彼女への手紙みたいになるなぁ)

 この1年、ぐっと仲良くなれた友人たちがいることがとても嬉しい。古い建物を受け継いで人が集まる場所を作り自身も活動をしている人、自然体の表情や日常の一コマをありのまま残す人、、、今思うと同年代の女性ばかり。自分に素直に生きている人たちで、みんな魅力的なんです。そんな友人たちから元気をもらって、自分も頑張らなきゃな~と背中を押されて、そしてホッとさせられる。自然体の笑顔で、柔らかな空気感をもって気遣いができて、自分の想いを言葉にして伝えられる。(でもみんな人見知りな面があるのが可笑しい)

 人に助けられたなぁ、元気をもらったなぁとちょっと振り返りつつ、まだ作るものが残っているので、全部終わったらもう一回いろいろ思い返してみよう。



 彼女におすすめされた一着は、着ていないくらい軽くてふわふわで心地よい。上質なものを知っているなぁ、、、と思いました。やみつきになりそうです。


2017/12/17

      

 日々起きたささいな出来事がいろいろあって、なんとなく言葉にして自分の中から出しておきたい気持ちがあるのになかなか追いつかない。ちょっと時間を見つけては出しておくんだけど終わらないうちに下書きになってそのままなことも多々…

 ここ最近、2回も携帯をなくした。

 結婚パーティの装花中になくしたときは写真が撮れなくて困ったけれど(そのときのシーンは友人たちから送ってもらった)友人に「iphoneを探す」で見つけ出してもらった。再びなくした夜はどうしよう!と思ったけれど、自分でicloudで探すことに挑戦してもどうにもならず、前回探してくれた友人まで巻き込んでもどうにもならなくて諦めて寝た。
 次の日、目覚まし(携帯)がなくてもなんとなく起きないといけない時間に自然と目が覚めた。朝は手帳に控えておいた携帯番号のメモをもって公衆電話を探して電話ボックスに入ると、中学生の頃、好きな人に電話するドキドキ感を思い出した。そういえばあの時はまだポケベルがあったなぁ、、、懐かしい。ノスタルジックなことをしている自分が面白おかしくて携帯から離れている時間が意外と身軽に感じた。
 その後、パートナーのポケットから出てきてホッとした自分がいて(いたずらは犬の仕業だったけどクリーンヒットともいえるすごい確率で入ったし、犬がかわいくてとても怒る気にはなれない)大事なあの人と連絡が取れないと思うとやっぱり必要だと思ってしまう。マナーモードにしていて気付かないことや、なくしたときに見つからないことで「何のための携帯電話だ」と何回注意されたかな。

2017/11/26

     

友人夫婦のビルでワークショップをひらくことになりました。
この日、1Fでは海辺のビルの小さな蚤の市も開催されますので、ワークショップに参加いただく方も、HOUSEHOLDに一度遊びにいってみたかった、って方もぜひお越しください。(残念ながら、この蚤の市、今回で終わりだそうです・・・)
 
詳しくは下記URLからどうぞ。

2017/11/23

    

 窓の外に目をやると秋の青空と山の紅葉が次々と流れてきて、道路わきのススキが揺れてキラキラとしている。なんだか肌寒いなぁと感じて後ろをみると、いつのまにか運転しながらタバコを吸うために窓をあけていた。この日、オペラを観に出かけた。プッチーニ作「トスカ」を映画監督の河瀬直美さんが演出するとどのような舞台になるのか観てみたかった。全編イタリア語でステージの両サイドに日本語の字幕が流れ、ストーリーは忠実でありながら古代日本を想起させる「牢魔(ろうま)」という架空の舞台を設定。悲劇の物語の中に生と死、命の尊さ、愛を描き、とくにエンディングの演出は一筋の光が印象的で未来への希望を感じさせて美しかった。個人的には光(ライティング)の使い方と、舞台美術と衣装がとても好みだった。

2017/11/17

    

 灯りが消えた建物の前を何度か通った。休日と営業時間を調べずに行くため、暗がりの道を過ぎても今日もタイミングではなかったんだな、と諦めもつく。3度目(または4度目?)に立ち寄ってようやく窓の外にもれる光が見えると冬に近づく夜のなかでよりいっそう温かく感じた。その時渡された1枚のDMは、ある工房展の案内。会期をみると明日までだった。勧めてくれた女性が、「きっと元気をもらえるよ」というので、翌日行くことに決めた。
 住宅街の中にあるアトリエ兼自宅の建物はそれはわかりにくいところにあったけれど、最終日の会期終了間際でもたくさんの方で賑わっていた。初めてお会いしたアトリエを営む女性は透き通った目の美しい人だった。窓辺に一台の織り機が置いてあって織りかけの茜色の糸がキュっと詰まっていた。顔なじみのお客様へ丁寧に声かけつつ、一人、また一人と玄関先まで見送られて、いよいよ外も真っ暗になって、3人が残った。織り物を27歳の時からその女性を師として学び続けていて、九谷焼作家の父や兄を持つ人と、織り物にほれ込んで工房展に度々来ておられる人、滑り込みのわたし。お茶をいただきながら、テーブルに目をやると石が3つ。聞くと、ケベックにいる友人からのプレゼントらしい。なんとも言えない表情の石は、なんと藻のかたまりだった。すべすべとした優しい触り心地。「自然って完璧よねぇ、かなわない」と穏やかな言葉がふわふわとその場に浮かぶ中で、ほれぼれと自然にできた美しい曲線をみんなで眺めた。ここしばらく、言葉にならない何かを心に含んだまま手放せずにいた私は、まるでデトックスでもされたようにすっきりとした気持ちになった。
 この感覚をできるだけ持続していたい、と思う。それなのに、毎日の出来事であっという間にまた蓄積していく、いろいろな気持ち。いつもクリアでいるって本当に自分の心が強くないとできないけれど、誰かに会ったり、何かを観たり、感じたり、誰かが作ったもので喜んでくれたり、笑顔になったり。そういうことで自分が元気にしてもらって、助けられて、支えられているなぁと感じることばかりです。

2017/11/11

         

バオバブの種
日本では育てるのは難しい

熱気のこもった興奮ぎみの声
大切な人が嬉しそうだとわたしも嬉しい
ようやく芽が出たね

閉じた眼
もう開かない、声も聞けなくなってしまった


2017/09/21

     

 久しぶりに友人に連絡してみると、仕事終わりに迎えに来てくれたのでさっと街へ繰り出した。東京に住んでいたころは相談相手としてよく連絡していたり帰省の度に連絡をくれて会っていたというのに、いざ拠点をこちらに移すと年に1~2回会えばいい方で、互いに音信不通で早3年。でもそれが疎遠という気がしないのが、この関係のいいところだと思う。
 
 心なしかカウンターで並んだ横顔も体も薄くなったように見えたが、春からランニングをはじめたらしく、その効果あって7㎏落ちたそうだ。運動を継続すると、ちゃんと結果が目に見えて現れることが実証されていると、これまで走ろうといいながら全くランニングシューズの顔も見なかったわたしがちょっとやる気になっている。それもこれも、豚のようにまんまるとした写真のせい。

 呉西で配布されるフリーペーパーJOJOJOの取材を受けたのが先月。その記事が9月15日発刊で現在各所に設置されている。トップページに持ってきたいと言われ、一面に載るこの姿と言ったら。(はぁ、とため息もでる)

 某ホームセンターにも自動ドア付近には自宅でできるステップ運動の器具や、スリムアップベルトなど運動(ダイエット)コーナーが設けられているのを横目で見ながら、友人から送られてきたカロリーの少ない食生活の報告やなんと彼女もテレフォンショッピングに手を染め3週間後にやってくる器具を心待ちにしていると聞くと、今まで右から左へ流して時にはネタにして🐷ちゃんマークを送ったりしていた自分に喝を入れて、走ろうかなと思っている。

 話が脱線しましたが、JOJOJOよかったらご覧ください。


2017/09/16

     

 お互いにやることを終えて向かったけれど、開演時間は過ぎていた。でも走らず話す余裕が持てたのは、夜の市街地を歩く時間さえも嬉しかったからかもしれない。
春にある舞台のお手伝いをしていたパートナーが、今まで裏方でまったく機会のなかったお芝居を観て、また舞台を観てみたいというのでチョイスしたのが「鎌塚氏、腹におさめる」。何の知識もなく選んだあとで公式サイトで予習でもしてみようかと調べてみたら、2011年よりスタートした鎌塚氏シリーズの4作目だった。コミカルでウィットに富んだテンポの良いストーリー展開で笑いながら楽しめた。つまらない(または疲れている)と寝てしまうだろうなぁという心配は無用だったようで、隣から聞こえる笑い声に、内心しめしめと心を掴めたような気持ちになった。
 終演後はすっかり外も冷えていたけれど、お互いに満足しているので足取りは軽く、元気をもらって帰ってきた。お腹がすいたので近くのスペイン料理店に入る。店員が季節料理を紹介してくれ、うさぎのアヒージョといのししのベーコン、松茸のオムレツがお勧めだというのでそれらを注文した。いのししとうさぎはそれぞれの干支になるので共食いだのなんだの言いながらも始めにでてきたベーコンはすでに加工された肉、腹ペコなのもあり食がすすむ。
 オムレツのお皿もきれいになった頃、うさぎのアヒージョがやってきた。わたしたちは衝撃を受けた。うさぎの顔が皿の上にそのままいる…。二人しばらく無言。でもカウンター越しのシェフもサーブした店員も、「頬が柔らかくて美味しいんですよ〜!」と口を揃えていう。これまでジビエ料理を食べたことはあったが、いざ目の前にあるとナイフがなかなか入らなかった。自分が日頃命をいただいている感覚がなかったのだと、強烈に感じた。いくらそういう話を聞いても読んでも、そのときの共感は軽いものだったのではないかと思うくらい、突き刺さる実体験は本物だった。お店側にしたら、頼んでおいて何言ってるんだと思っていたかも知れないけれど、それが正直な感想。お会計を済ませた後店を出るわたしたちを追いかけるように慌てて半分閉まりかけたドアを開けて、「またお待ちしていますね!」と笑顔で見送ってくださって、慌てて来られたものだからドア枠に頭をぶつけて恥ずかしそうに笑う店員さんがまた可愛らしくて、なんだか嬉しかった。

2017/09/12

 

久しぶりに再会すると、それぞれの道を歩んでいることを実感する。しばらく会っていないうちに一回り強くしなやかになった印象を受けた。ものすごく変わったようで、当たり前だけど話し方も雰囲気もそのままでホッとした。空白の時間はさほど感じず、あの時と変わらず話せるのはお互いに時間が必要だったということかもしれないし、自然に離れてもときどき流れがピタッと重なるときがあるということかもしれない。
 

2017/08/26

なかなか眠れない夜に、久しぶりに映画を観た。Huluの公開期限が迫っていたのもあって選んだ『風と共に去りぬ』。
母が大好きな映画の一つで、実家の本棚には『風と共に去りぬ』から続編の『スカーレット』の単行本までそろっていた。(のを、実家を出るときに持ってきて手元にあるのだけど、完読できた試しがない。そしてあとになって、DVDをいつでもみれるように買っておいたことに気づく)
まともに映画を通してみるのは2回目。初めて見たのは母と一緒だったから結構幼いころだと思う。スカーレットとレットの恋愛映画の印象が頭の片隅に残っていたくらいで細かいストーリーをすっかり忘れていたけれど4時間に及ぶ長編を見終わって、何より強烈に残るスカーレットの女性像。利己的で勝ち気で強気で型破り。でも自分に正直で懸命に生きる姿が魅力的に映って、勇気をもらったような爽快な気持ち。自分とかけ離れた点が多いだけに「こんな風になりたいな~」と思った。

そんな話をお好み焼きを食べにいく道中でパートナーにしていたら、大学生のころ突然絵を描きたくなって『風と共に去りぬ』のポスターを模写してとても良く描けたというものだから、じゃあ帰ったら絵心対決をしようとなって。なぜかアップルにわたしの似顔絵を描いてもらうことになった結果が、これ。


からの、パソコンを開いてライトがついて、手を加えての、これ。


こんな悪ふざけをしていたものだから、大事にしていたガラスの花器を割ってしまって(ほんとに自業自得)水びだしになった床とガラスの破片を片付ける作業が増えて、あぁ、ほんとわたしってどうしようもないなぁと。。

だけど笑って眠れて、早起きした朝が涼しくて気持ちよくて。戻ってきた暑さに日中はまだまだバテるけれど、秋はやっぱりそこまで来ているのね。

2017/07/30

    

ずっとずっと振り切れなかった気持ちを手放したら、春先には思いもしない出来事が起きた。それから疑いもしなかったことが、ほんの数日前には何かが崩れてしまうような事実を知ることもある。
人生は何がおこるかわからない。だから面白い、って思えるのはしばらく経ってからじゃないかな。その真っただ中にいるとき、ほんの些細なことにブレたり、弱気になったり、目の前に起きたことを受け止めてすぐに転換できるほど、切り替えがうまくできそうにはない。
でも、その気持ちを全部ひっくるめて抱えながら、信じて過ごしていくのだけれど。

2017/06/08

   

慌ただしく毎日が過ぎて、小さな心の動きはだんだんと忘れていってしまう。
心がふと、ぽっかりしてしまっていることには気づくことがときどきある。
 
年初めの気持ちを思い出した。
心に誓った気持ちを持続するむずかしさを感じながら、それでも前に進んでいこう。
忘れたときは、思い返して。心がかさついたときはリフレッシュ。
 

2017/02/21

        

インテリア事務所に勤務していたころに知り合ったご夫婦の展示にいってきました。お花を始める前に7年ほど勤めていて、ウォーホルのファクトリーみたいに、毎日いろんな面白い人が出入りしている刺激いっぱいの職場でした。当時のわたしはカルチャーショックを受ける日々。今では懐かしい、と思うほど時間が経ったけれどこうしてまた再会できる機会に恵まれて本当に嬉しかったです。

ウォルドルフドールズは草木染めされたオーガニックコットンや羊毛をつかってできた人形で、赤ちゃんの肌触りに近く、なんだかほっこりするような愛らしい表情です。
ワークショップに参加して、ひさしぶりにもった針。作ったのは星の子ちゃんです。ベロア地の星の子は握るとほどよい羊毛の弾力で手におさまるサイズ感。普段花をさわっているとき、気持ちがすっきりとしていくのをいつも感じるけど、それ以外でこんなに気持ちよく作れることはこれが初めてかも。素材も、この空間も、一緒にいる人も、建物にながれる時間も、人を包み込んで幸せにしてくれる愛があったからだろうなー。。。
胸元に♥を、後ろには「FULL OF LIFE」とシルクスクリーンしてもらったカットソー。早く温かくなって、これ一枚で着たいです。(もう雪はいいや、と思っている。)



 
見ているとほんとに気持ちがほどけていく星の子ちゃん。姪っ子にみせたら、とっても気にいってもらわれていってしまった。また作りたくて、キットを購入。
 
 

ベスコフの絵本の世界みたいにディスプレィしたいというイメージをもらい、展示にグリーンやお花をお届けさせてもらいました。チューリップの原種は小さなつぼみだったのが、暖かな太陽が差し込んでぱ~っと開いていました。
 
 

以前シルクスクリーンのTシャツとリースをトレードさせてもらったことがあって、そのときのリースを版にしたものとこの度ご対面。

ありがとうございました!


よい流れが、次のいい流れをつくっていく。今年ははじまったばかり。

2017/01/18

  



広がる景色はどこまでもモノクロ。光は温かさをもたらし、色が明るさをくれる。純粋な好奇心と、ただ自分のための時間を持ちたくなって向かったフィンランド。正直この国でなくてはならない理由はなかったし他に行きたい場所もいくつもあったけれど、やはり旅では気づくことはいろいろあった。

” 結果オーライ!” 

友人が時に口にする言葉。今のわたしにはこの国がきっとフィットしていた。



2017/01/08

   



あけましておめでとうございます。

2016年は充実した年でした。大好きな仲間とマーケットを開いたり、結婚式のお花をトータルで担当させてもらったり、初めてのことにも挑戦する機会をいただきました。気持ちが折れてなかなか踏ん張れない時、涙がとまらないほど落ち込んだ時、花や人から元気をもらい励まされていると気付くことが本当に多くありました。嬉しいことも悲しいこともいろいろあったけど、そこから考え、学び、感じたこともまた多く、全ての経験があっての今の自分を受け止めています。

今年は出会いと経験に感謝して、素直な気持ちでまっすぐ取り組みたいです。
自分のものさしにないドキドキするような未知なことも、すぐそばにある身近なことも大切にしていきたい。

母からもらったカードに
「花と共に やさしくたくましく 笑顔になれますように」とありました。

いつも心に優しさをもって。
 
少しだけ元気に、ちょっとでも幸せな気持ちになってもらえたら
そんな花を届けて、誰かの笑顔がみれたら、わたしも嬉しいです。
 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


2017.
Rie Nishibuchi