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2018/05/19

     


 上映最終日、ほとり座にてニワトリ★スターを観てきた。DV・レイプ・ドラッグなど、観ていて気分が悪くなるシーンもあったが、終わってみるとひとすじの希望と元気がもらえる映画だった。
 上映後のかなた狼監督と井浦新さんの舞台挨拶で、「現実で起きている残忍な事件や様々な暴力(体に受けるだけでなく心に傷をおうものなど)があってもニュースではどこか他人事のようで、むしろ映画で観るシーンから悲惨さや恐ろしさを実感する場合もある。観る側の咀嚼の仕方によって何かのきっかけになることが映画の役割である。」と話しておられた。こういった表現が昭和の時代には当たり前のようにあって、それが表現として人々の間で認識され娯楽としてもとらえられていたのが、地上波で上映不可なことはもちろん、いろんな規制がかかって表現の幅が狭まっている現状を製作する角度から話される言葉には蓄積されたフラストレーションが感じられた。「気持ち悪いと感じられるのが自然な感情なんです。これに慣れてもらっては困る。」 激しいシーンを監督は怒鳴りつけながら撮影されたそうだ。中途半端なことを一切せず、しっかりと見せるすごまじい熱量から、どれほど神経をすり減らしてこの作品ができあがったのか、直接聞くことができたのはとても貴重な時間だった。これだけ本気で作られた映画を久しぶりに見たように思う。重ねて観ると、いろんな捉え方ができる作品だった。映画っていい!って心から思えた。


2017/08/26

なかなか眠れない夜に、久しぶりに映画を観た。Huluの公開期限が迫っていたのもあって選んだ『風と共に去りぬ』。
母が大好きな映画の一つで、実家の本棚には『風と共に去りぬ』から続編の『スカーレット』の単行本までそろっていた。(のを、実家を出るときに持ってきて手元にあるのだけど、完読できた試しがない。そしてあとになって、DVDをいつでもみれるように買っておいたことに気づく)
まともに映画を通してみるのは2回目。初めて見たのは母と一緒だったから結構幼いころだと思う。スカーレットとレットの恋愛映画の印象が頭の片隅に残っていたくらいで細かいストーリーをすっかり忘れていたけれど4時間に及ぶ長編を見終わって、何より強烈に残るスカーレットの女性像。利己的で勝ち気で強気で型破り。でも自分に正直で懸命に生きる姿が魅力的に映って、勇気をもらったような爽快な気持ち。自分とかけ離れた点が多いだけに「こんな風になりたいな~」と思った。

そんな話をお好み焼きを食べにいく道中でパートナーにしていたら、大学生のころ突然絵を描きたくなって『風と共に去りぬ』のポスターを模写してとても良く描けたというものだから、じゃあ帰ったら絵心対決をしようとなって。なぜかアップルにわたしの似顔絵を描いてもらうことになった結果が、これ。


からの、パソコンを開いてライトがついて、手を加えての、これ。


こんな悪ふざけをしていたものだから、大事にしていたガラスの花器を割ってしまって(ほんとに自業自得)水びだしになった床とガラスの破片を片付ける作業が増えて、あぁ、ほんとわたしってどうしようもないなぁと。。

だけど笑って眠れて、早起きした朝が涼しくて気持ちよくて。戻ってきた暑さに日中はまだまだバテるけれど、秋はやっぱりそこまで来ているのね。

2015/09/13

わたしはロランス

とても久しぶりに文章を書きます。

そして、久しぶりに劇場へ足を運びました。
2013年に公開された『わたしはロランス』。
当時劇場で見逃したことを惜しんでいた一作品。
グザヴィエ・ドラン最新作の『Mommy』にあわせて、
地元の劇場でドランの特集が組まれ、2日間だけの再上映。



愛おしさも慈しみも、怒りも悲しみも、
どの感情もすべてがまっすぐに、
すべては愛であるというたった一つのメッセージ。
つかみどころのないものかもしれないけれど
確かにそこにあって、目に見える。
心の目に、しっかりと焼き付いて
そのあとのヴィヴィアン佐藤さんのシアタートークと
風景と食設計室ホーの映画のシーンを切り取ったフードインスタレーションで
その空間にいたみんながわたしはロランスの時間と
それぞれの感情やこの映画に対する思いを共有しあった。

性別も国籍も環境が違っても、きっとその垣根を超えるのは愛。
それでも、
常識やあるべき姿、または自分自身が描く理想や、周囲の声などに
影響されて、つまずいて、悩んで、
まっすぐで純粋な想いを貫くのは難しい社会。
その踏み出せない境界線でもがいている。
立場が違っても、そういう想いを持っている人がきっと沢山いる。

良い・悪いだけでは判断できない、選択。
普通といわれるものを選んだら、それが幸せなのだろうか。
異質と感じられるものを選んだら、それが不幸せなのだろうか。
守りたいものと、貫きたいものを天秤にかけざるを得なくなって
片方しか選べないこともある。
白か黒かで決めつけてしまうのは、
一つのものさしでみた場合であって、
違う方向からの景色は全く違っていることは多くある。

感情を相手に投げてさらけだして喜び、悲しみ、涙する、
人々の姿は人間らしさがにじみ出て、美しさがあった。


自分の感情にうそをつかない、まっすぐな愛を持って生きていたい。