2016/12/07

  

先日、ひさしぶりに作業場でワークショップをひらきました。お客さまからインスタのダイレクトメッセージでお問い合わせがあったところから急遽決定したのが開催日の1週間前でした。二人で人集まりますかね~って弱気なことをいっていましたが、お知らせをみてくださった方から参加希望のご連絡をいただいて、ちょうど定員になりました。この夏、わたしが参加させてもらった「塩ビルマルシェ」でお会いしたお客さまと、2人組でご連絡くださった方には共通の友人が何人かいて、はじめましてだけどなんだかほっとするような。そして、この度わたしと共同主催者になってしまった方。笑
みなさん普段からインスタをみてくださっていたそうです。

今回のワークショップをするにあたって、かなり重い腰をあげました。(今までは地べたスタイルで、テーブルも狭くて、きっと来てくれた方は制作しにくかったかもと思います。)相当重かったくせに、一週間前に決まって、もう日がせまってくるものだから、テーブルとイスにいれかえて(おかげで今度は部屋がより狭くなった気がしないこともない)そのテーブルを使っていたキッチンにはずっと昔購入した1960?70年代の古いダイニングテーブルを運びました。気に入ってワークショップ用に準備したくせにずっと放ったらかして上に荷物も花材もどんどんおいてしまっていた。それが本当に重くて、重くて、(私の腰じゃなくて、テーブルが!)戸の間口以上の幅があるテーブルで、しかも天板と足も取り外せなくて、もう諦めようかと思っても、とにかく諦めが悪くて頭をしぼってひねって、なんとか通れる角度を見出し運んだわけです。おかげで翌日両腕が筋肉痛でした。よく一人で運んだ・・・と思う。でもそのおかげで、最大人数4人をなんとかみんな手持ちぶさたな思いをすることなくそれぞれのスピードでピリオドを決めれたと思います。早く仕上がる人もいれば、そうでない人もいるわけだから、できた人から移動できる場所を作ってよかったです。

参加してくださったみなさんの作品はどれもよくて、みんな全然違うものに仕上がりました。とにかく、人と比べないで、お手本もないから、「自分」と「植物」の世界に入り込んじゃってください、と伝えました。夢中になってなにかを作る時間は大人になるとなかなかないものです。ひさしぶりの創作にうまくいかないとかどうしていいかわからないとか迷う気持ちが生まれてきたり、でもどこかでわたしにはここがしっくりくるという向きや角度があったり、花選びがあったりしたと思うんです。そういう自分を確認する面もあるのではないかなぁと思ったりします。特にそれを意識しなくてもです。
作業場が狭くて(物も多くて)億劫になっていたのですがきっとわたしがやりたかったワークショップってこういう感じだな、と思いました。みんな終わった後、なんかすっきりした顔をしていました。

今回のように参加された方それぞれがイメージして自由に作るワークショップと、それとは違った形のワークショップも浮かんできました。親子とか子どもむけとか、お花に親しむ時間も作っていけたらいいなと思っています。

2016/11/24

   

言葉では言い表せない気持ちになることがよくある。タイプしてみては保存して、そのままにしてしまっていることがときどき。ふとした時にここを開いてのちに読み返してみても、やっぱり同じ気持ちになっていることがあって、結局悶々と悩んで考えている時の逃げ場所なのかも。ほぼ独り言です。(それをこうして人が見える所に書いているって内面をあけすけにしているだろうか。)

オーダーしてくれた方のことは納期が迫っているのはもちろん、気長に待っています、と言ってくれた方のことも、ずっとどこかで考えている。どうしても日が近いものから優先してしまって、エンドラインが決められていないことに関しては緩くなっているかもしれない。でも忘れていないです。お待たせしてごめんなさい。全部大切だから順番にやっているつもりが、それが結局後回しのようになり、そう受け取る結果相手も傷つき、自分も傷ついてしまうこともある。幸せやドキドキ、気持ちいい風が心をふっと通って行ったらいいなと思ってやっていることが、逆の思いをさせてしまったら悲しさはこんなにも自分に重く響くのか。きっと相手も悲しい思いをしているに違いない。

最近知人に引き合わせられて、ある写真家の方から取材を受けて、「なぜ花を扱うのですか?花が好きだからですか?」と聞かれて答えた。「たまたま花でした」と。人を笑顔にしたり、人と人をつないだり、人と花をつないだり、小さな幸せのひとさじになれたらと思って、きっとできることはなんでもよかった。ただ、色や素材感の組み合わせや季節を感じること、初めて社会人になって働いたインテリア事務所での本当に色々な経験と幼少期に母と過ごし学んで感じたことが今に繋がっているように思う。

その人は初対面の私に少しあえていじわるに聞こえるかもしれませんが質問しますね、と前置きしてさらに話を進めた。人に聞かれて、普段言葉にしなかったことが、スラスラと初めて会う人に話せた。言い表せないことを引き出してくれる人に出会えることもある。
存在感たっぷりのカメラには緊張して笑ってごまかした。果たしてどんな顔をして写っているだろう。どんな風に見えて、感じて、書かれるのだろう。

人は誰もが傷つくし、悩んでいるものだけれど、前向きに明るく毎日を過ごしたいという気持ちはきっと同じで、私もそうありたいと思っている。(実際は小さなことをいつまでも考えて、些細なことも全部拾って考えて自分自身につぶれそうになったりして、7個下の妹にお姉ちゃんもっとしっかりしなよ!と喝を入れられる始末。)

こういう自分を元気にしてくれるのが花だったりするんだよな。結局私自身がお花にいつも力をもらっているんだよな〜と思うので、そういうハッピーを届けたい、だからやっぱりお花が好き。


2016/09/28

   


 
すっかり秋色が並んでいる市場で、頼まれたアレンジのためのお花を選んできました。
 
ここ最近はホワイト&グリーンでまとめたいと思っているブライダルのお客さまが重なったので、
草花の雰囲気がでる白い花やグリーンの葉を選んで束ねていたり
ワークショップはドライになるものを選んでいたりしたのですが
こういった普段の贈り物のアレンジとか花束こそ、”市場にある花から選ぶ” ”季節感”が出るんではないかと思っています。
 
具体的にこの花を使ってほしいとか、色合いまで指定されているときはこうはいきませんが、わりとアバウトなときは、事前にこういった花を用意してほしいと注文をせずに、ある中から選んでイメージします。
本数、種類、予算など制限がある中で、どれだけイメージを作って選べるか、そのドキドキした即興感はなかなか楽しいです。(もちろん、毎回着地できるまでソワソワと不安なんですけれど)

インスタグラムやHP、知人・友人などを通してオーダーしてくださる方のために作る、という花屋でもないし、フラワーアーティストでもない、得体のしれないわたしに(おそらく)連絡してきてくれる方のために、とにかく喜んでもらいたいし、花を贈る喜びも、部屋の中に花や緑があることとないことの違いも知ってもらいたい。
ただただそういう気持ちで束ねているので、必然的にどこか気持ちの通うお客さまとばかり知り合えているように思います。
どんなシーンのためのプレゼントか、相手はこんな雰囲気の人で、こんなものが好きな人で、お店ならどんな内装で、とかいただいたデータから今のベストを出す、そういうお花を選んでいるつもりです。

今回は珍しいケースで、普段お世話になっている市場でも統括する立場におられてなかなかお会いする機会もなさそうな方からのオーダーでした。たくさん花屋さんがある中での注文は、「ご指名」的な要素が含まれていると言われて、自分がやっていることを受け入れてもらえているのかもしれないと少し感じました。会話の中でいつもどんな風に花を選んでいるのかを聞かれて、普段何気なくやっていることをちゃんと言葉におこしてみました。

まず最初はインスピレーションで今日はこの花!っていう一番心に留まる花を選んで、そこから色の分量とトーン、素材、質感を意識して隣に寄り添う花を探します。茎の動きと花の顔がどんな風に見えるか、どの向きにすると自然に見えるのか、元気に咲いているような雰囲気になるのか、そういうことを集中して考えながらなるべく時間をかけずに選びます。時間をかければかけるほど直感が鈍ってくるからです。

言葉にしながら、自分で再確認していました。自分のことを話すのはどうも苦手だけど、信頼している方とのやりとりの中で自分を引き出してもらったような感覚でした。
人と関わり、花を通していい出会いがたくさんあって、なんて幸せなんだろう。
日々の感謝の気持ちは、また誰かに返していきたい。

2016/09/24

9月がそろそろ終わろうとしている。朝晩は寒くなってきたので毛布をだした。お風呂に入った後についついyou tubeを見て湯冷めした体をあったかく包んでくれる。ぐっすり眠って1時間早くかけた目覚ましはスヌーズ続きで結局いつも通りだった。

9月はずっとブライダルのお花について考えていたように思う。
雑誌やWEBなどからいろんな情報を見つけてこれる時代。花嫁さんはあれこれと画像を保存している。大切な結婚式なのだからその気持ち本当によくわかる。欲張りになっていく気持ちも、考えるうちにだんだんと迷走してしまう気持ちも。時間とともに幅は意外と広くなっているからたくさんのもらったイメージの中から、どこへ向かって作っていくかを私が絞っていかなくてはいけない。しっかり絞れている人もいるがそういう人は信頼しておまかせしてくださっていることがほとんどだ。いいお客様に恵まれているように思う。
こんな風にしたい、と画像を見せられても全くは同じにならない。いや、むしろ、全く同じにしてほしいとも思っていないと思う。こういう雰囲気で、わたしたちらしいものを作ってほしい。それくらいアバウトに投げかけられている。新郎新婦の想いを、言葉にならない部分をどれだけ汲み取って形にできるか。毎回ずっとずっと悩んで、仕入れにいくまで本当にドキドキとして、作っているときは寝る時間も惜しくなる。そうして気持ちを込めて作った花で喜んでもらえたら心底嬉しい。
幸せな時間に携わって、こちらが幸せにしてもらっている。

これからも、未来の花嫁さんを、旦那さまを、ご家族やご友人たちが笑顔になる場所を作れたらなと思います。

2016/09/17

ほんの小さなことを考えはじめると雪だるまのように大きくなって、もう頭からはなれなくなってしまい、なるべく無心になろうとひたすら単純な作業を続けながら歌ってみたり、友人に話を聞いてもらったり、いろいろ試すわけだけど結局全然そのもやもやとした気持ちがなくならない。原因になっている物事や相手との前進なり解消がなければすっきりしない。好きな本を開いても、映画を見ても上の空になってしまう。

でも、目の前の人が楽しそうに笑ってくれて饒舌に話してくれたら、それだけでスタミナが補給できてしまう。単純だけれど、素直に嬉しい。体中が喜んでいる感じ。花との時間も、そんな感じ。花に触れているとき、そばで眺めているとき、その美しさにどきどきとしてしまう。

秋の花も楽しみたい。

2016/09/16

ありふれた日常の中に幸せに感じることがたくさんあったと気づくのは、後のことだ。どうして渦中に気付けないのだろう。悠々と踊っていられる場所は作られたものだったのだ。いつでもそうしていられるように、用意してくれていたものだった。ごく、自然に。いや、お互いに作れていた部分もある。(と思いたい)

一緒にいるのに離れているような寂しさ、傍にいないのにすぐ隣にいてくれるような安心感。誰かと関わるから起こる感情だけれども、結局のところ孤独なのだ、と感じる。20代の時の「私は私」とは違う感覚。(若い時はもっと傲慢だった気がする)今は「私は私でしかない」という方が近いかも。

家族がいても、恋人がいても、友人がいても、孤独感はある。孤独と向き合うことはなかなかできない。ふっと一人でいる時間が寂しくなった時、誰かの声を聞きたくなったり、ご飯に誘ってみたり。その穴を埋めようとして。一人の時間をうまく過ごすには自身に心の安定感が必要だ。美味しいご飯を食べて、美しい植物を愛で、気持ち良い音楽を聴いて、興味のある本を開いて。心が健康でいられるようにするのだ。できたら、よく眠る、も加えたい。

穏やかに心に風を吹かせていたい。

2016/09/08

最近書き留めておきたいことが日々あるのだけど、時間が追いついていません。
素晴らしい陶芸家の方と、料理・植物と器、文化、歴史、宗教などを行き来しながらさまざまなお話をしたり、県外へお嫁にいった親友と会う時間があったり、大切な人とのすれ違いと、これから大切にしていこうと思っていることと、そういう嬉しさや寂しさやせつなさを全部かかえている毎日です。

それと同時にずっとわたしの中にあるのは週末、来週末にひかえたブライダルのなんだか不安な気持ち。不安だ、というと依頼してくれた方を余計不安にさせるかもしれないけれど、いいものを作りたい気持ちと、なにより花嫁さんに喜んでもらいたい、それだけです。そのシンプルな部分が一番で、自分が描くイメージにどれだけ近づけられるか。全体のバランス、見たときの瞬間的な感動、花々が楽しそうにそこにいるような、風の通るような雰囲気。出来上がるまではソワソワとしてしまいます。でも、必ずいいものにする。助けてくれた人たちもいるし、当日手伝ってくれる心強い仲間もいて、なにより、打ち合わせを重ねてきた花嫁さん。幸せな一日を感じてほしい。


落ち着いたら書き留めたかったことを改めて掘り起こさなきゃ。薄くなって消えてしまわないように。

2016/08/27

 

衝撃的な出会いがあった。書かずにはいられない。

丸襟のシャツにタイトスカート、レザーのバッグ。黒髪のボブで清楚な雰囲気の華奢な女性が目の前に現れた。立ち振る舞いが美しく、言葉遣いもきれいで、品のよさそうな方だ。
聞くと絵描きだという。早速、スマートフォンで作品を見せてくれた。衝撃が走った。幼虫や爬虫類などの鉛筆画にビビッドなアクリルが合わさって、緻密な絵から何ともいえない雰囲気が漂う。去年フランスのアールサンピエール美術館でアールブリュットの展示を見た時のような気持ちになった。どこか湿った、陰を感じる。ただ晴れやかなのではない、何かの感情の表れ。今は日本で発表しておらず、アメリカで作品を出しているそうだ。あちらにはコレクターと呼ばれる人も大勢いるし、チャンスもそこらじゅうに転がっているそうだ。アメリカの話、絵の話、そしてわたしの話も少ししながら時間はあっという間に過ぎてしまった。

こういうドキッとするような、刺激的な出会いがごくまれにある。エネルギッシュなパワーを秘めた女性から元気をもらった。目のまども、心のまども、細胞もあいたような感覚になった。

2016/08/23

お盆をすぎると、ジリジリとした暑さが和らいできました。早朝の光は柔らかくなり、気持ちいい風も吹いています。夏バテしていたころはところてんしか口に入らず、毎朝バタバタと朝食も取らずについついシャワーで済ませていました(それは通年なんですが)。

この頃は仕事を終えれば週2回は温泉へ行っています。海側、山側交互に立ち寄り湯へ。向かう間、夕陽が映る海も、木陰が涼しい山も、どの景色を見ても美しい。そしてお湯がいいのはもちろん。帰ってきたら、野菜を調理して食べます。先日参加したマルシェで西洋野菜を作っておられる地元の農家さんから野菜を買わせていただいて、(普段はレストランなどに卸しかしていないらしい)インカのめざめというじゃがいもはさつまいものような色と食感で、味は栗のように甘くて、本当に美味しかったな。それからはじめて古来種の野菜を通販で取ってみました。スーパーに売っている野菜はF1と言われ、流通にかけやすいようにいろいろと人の手が加わってしまっているそうですが、古来種は自家栽培したものから種を取り、また栽培し、命が循環している野菜だそう。何が届くかお楽しみで、季節柄、茄子が数種類と葉物、瓜系が多かったですが、さっそく作った青茄子のステーキはふわふわでした。

最近、田舎でよかったなぁとつくづく思う。少し行けば海も山もある。美味しいお水とお魚、お野菜、お酒。都会に行きたいと思っていた10代、流行の街への憧れが強かったけれど、今となってはこの自然の中で生活できていることは幸せなことだと感じる。ある人が、世界が求めているのはこの田舎のローカル感だよ、と言っていた。ここにこそ世界に通用する価値観がある、と。海外へ行って、いろんな世界を自分の目でみた人の言葉は、ずっとこの街に住むわたしにはあまりピンと来なかったけれど、地元の海沿いを走りながら言われた言葉を何度も思い返すと、いつもの景色がより美しく見えて、さびれていてもこの場所が好きだと感じた。

2016/07/10

会ったのは3度、連絡は会う前の約束のみ、そんな夫婦が富山を離れて旦那さんの故郷へ帰って行った。初めて会ったのは、富山で閉館することが決まったフォルツァ総曲輪というミニシアターで開かれたイベントだった。映画館で働くスタッフさんにわたしが大好きな方がいて、その女性から紹介された夫婦だった。物腰柔らかな丸メガネの似合う旦那さんと、小柄でパンチの効いたさばさばとした奥さんだった。すぐにこのご夫婦いいな!と感じた。会う回数、話した時間関係なく、感覚的にピン!とくる出会いが時々ある。翌週にわたしの住む街にある居酒屋さんへ飲みに行くのでよかったらおいでと誘ってもらった。
お酒が大好きなお二人と、二人が連れてきた別の男女一組と楽しい時間だった。とても会うのが2回目とは思えないほど打ち解けて話せた。わたしは人からどう思われているかはわからないけれど、こう見えて人見知りする。でも、このご夫婦の前では何もいらない。受け止めてくれるだろう安心感があった。そのままでいい、いいところも駄目なところも、そのままでいいんだと気付かせてくれる。人と違うところも、認めてくれているような包容力。本当に心が温かく、人間らしさを感じる2人なのです。
そんな夫婦が旦那さんのご実家のみかん農家を継ぐといって引っ越しされることになった。もう一度飲みましょう、と一声かけると、そうですね~で終わらない。あちこちに引っ張りだこなはずなのに、予定を合わせてくれた。
3度目のお見送り会にはフォルツァのイベントを主宰されたキュートなライターの方も来られて、ますますにぎやかになった。奥さんの好きなDVDBOXをプレゼントし、お手紙は同席した新聞記者さんが読み上げた。ユーモアたっぷりのお手紙で、ご夫婦への愛情を感じた。わたしは、二人に送るならこれ、と決めていた 谷川俊太郎さんの『せんはうたう』の詩をプレゼントした。酔った勢いで、その場で一冊読み上げた。読みながら、2人のことが大好きだなと思えて、泣けてきて、その場にいたみんなもしーんと聞いてくれて、ご夫婦も目が潤んでいて。
自分が朗読した感動のシーンを書きたいわけではなくて、このご夫婦とのご縁に感謝の気持ちと、この『せんはうたう』が本当にとてもよい本なので紹介したかったわけです。

人と人はつながって、せんになっていく。せんはうたうようにつながっていく。
そう感じられた始終にぴったりな一冊でした。

再会できる日を楽しみにして。

2016/05/15

心のどこかで本当はひっかかっていたのに、終わったからおしまいにして
振り返らなかったことに気付かされるとき。
その苦さはじわじわと広がって悔しさと感謝に変わっていく。

常に変化し続けている人の言葉は着実に足跡を残しながら
先を見て歩いていることを感じさせた。
同時に今自分にかけているものが何か、目の前に並べて心に刻んでくれる。

ある目線としての意見を、ただそのまま話せること。
そこに含んだその人の思いはわたしなりに十分に感じられた。

そして言葉にしなくても思いが伝わるものなのだ。
ほんの些細な行動から。

感謝は行動に変えていくと自分自身に。

2016/05/14

 

どこをどうしたのか、久しぶりにあけてみた自分のブログから
今までの写真がすっかりなくなってしまっていた。
とりとめもないことを、ただ記録のように載せていたので
これといって見返すこともなかったけれど。

また気が向いた時に、つらつらと書こうか。