2019/06/03

真逆を捉える

半年ぶりに会った海外好きの友人から縁あった男性のいるところへ飛んでいくと報告を受けた。自分が想像しなかった展開や今までの価値観や常識がひっくり返ることが目の前で起こってる。(...と言っても年に1度は海外旅行する友人がメキシコへ嫁に行くことはさほど驚きではないのだけど)彼女は物事が進んでいく展開に戸惑いながらも、ふふふと笑っていた。彼女らしい生き方が嬉しくなった。私はメキシコに遊びにいく理由ができた。
私は小さな変化と決断をしながら、2ヶ月ほど過ぎた。(まだ焦りや危機感はない。あったらもっと違う時間の使い方をしていただろうけど)平穏には進展も後退もないのか?刺激したらイメージ通り転がるのか?幸福感は他人が判断できるのか、それとも客観視するから見える現実か。まずは一呼吸おいてみようと、持ち抱えたまま新月の夜を過ごしている。先を見るあまりに目の前を大切にできないと思って選択していた事が今までの価値観だとしたら、視点を変えて行動することは自分にとっては180度反対の価値観なのかもしれない。さぁ、勇気を持って、と自分に言い聞かせる。

2019/03/07

全てを飛び越えて

幼い頃家の周りには緑がたくさんあった。空き地は一面シロツメクサでいっぱいになり、近くの公園には葛が生い茂って、通りを挟んで向かいの斜面にある大きな木から垂れ下がる蔓でブランコができた。母に葛の蔓でリースの土台の作り方を教えてもらい、、妹と花冠作って暗くなるまで遊んでいた。今は住宅が建ってその姿は跡形もない。
リースづくりが自分の人生を大きく作っていくとは思ってもいなかった。人との出会いを与えてくれ、生きている感覚を味あわせてくれている。過去(幼少期の自分も、ずっと昔リースが誕生して、人々が飾ってきた歴史)と今と未来(これから進んでいく道)をつなぐリースが、まさに物事の調和の象徴である丸い形をしており、途切れない縁を意味している。月桂樹の輪が起源とされるリースは幸せを願うもの。円の中に描かれる仏教の曼荼羅。太陽も丸い。まるいものに対する印象は時代も人種も性別も飛び越えて普遍的な感覚なのかもと思えてきた。
わたしはリースを作り続けている。人の気持ちを吹き込むように。見えないけれど存在している価値観。全てを飛び越えてみんなが持っている無意識の価値観はきっと本当に大切なもののような気がしている。

2019/03/02

物語が失われたあとに

いつも物語が届く。誰にどんなシーンでお花を贈るのか、相手の好みや人柄について。自宅用ならインテリアのテイストや飾りたい場所の写真も一緒に。先日はお子さんが病気がちで、それに伴い引っ越しをする方から新居に飾る唐辛子のスワッグを頼みたいとご連絡をいただいた。「新しい暮らしが健やかで笑顔溢れるものであるように」と頼んでくれた方の真っ直ぐな願いが伝わってきた。
飾られたリースやスワッグはだんだんと色褪せて、きっと物語性や臨場感も少しずつ失われてその空間に馴染んでいく。その場にあるのが気にもとめないほど自然なかたまりのように。ただの作品から、ただのものになって、その時初めてそのもの自身の力を見るような気がする。ただ、ありのままの存在と、本当の想いだけが残っているような。それが本来のリースの姿であり、自分が作り続けていることに対しての一つの光を見つけたような気持ちになっていた。
インスタグラムにリースを1つポストした。友人がわたしの作ったばかりのリースをみて「願いが叶いそうな気がする」とつぶやいた。もしかしたら、物語性と臨場感の鮮度に左右されずにそのものの力は既に存在しているのかもしれない、と思った。

2019/02/22

悩むと考えるは違う

あぁ、また気配りするポイントがずれているんじゃないかな?と対応を見ながら思う。そしてわたしはまたがっかりさせられている。やったこと自体が悪いのではなく、それをするまでの考えが何もなく、思いつきのようで浅はかだなと感じるところに腹を立てているのをきっとわかっていないだろう。(ただ拗ねてるぐらいにしか思っていなさそう。)物事の考え方や価値観がピタっとはまるときも違和感を感じることも、どちらもあるというのが自然なのだと思う。むしろ何もかもが同じ方が不自然なのだ。(世の中にはほんとうに似たもの同士の場合ももちろんあるだろうし、それが自然な人もいるだろうから、これは私たちの場合だ。)今までは傷つくことがあるたびに、その生じた出来事と自分の感情だけに覆いかぶさってしまって、負のループから全然抜け出せなかったのだけど、この頃やっと(すでに起きてしまった)事実として受けとめて自分のその時の態度を客観視したり相手のことを考えたり、関係を見つめ直すことが少しだけ、できるようになってきた。悩むと考えるは違う、と以前勤めていた事務所のKさんに言われたのを思い出した。検索してみると、悩むは思い煩い過去の視点で捉えつづけること、考えるはゴールに向かって未来の視点で物事を捉え変化を起こすプロセスのことだそうだ。きっと未来をよりよくしたいという気持ちが、ある日扉が開いたように悩むと考えるの違いを気づかせてくれたように思う。こうしていろいろぼやいているけれど、大事な人と、大事な人が大事にしている人たちと一緒にいる未来を思っているし、私に関わってくれる人も自分自身も楽しく気持ちよく生きていける未来を想像したい。

2019/02/20

香り × オペラが最強説?

人の脳は自分のことを認知できるのは3%なのだそうだ。残りの97%の中に無意識の本音が隠れていると言われていることを知った。無意識の中にある、自分が本当にくみ取りたい本音をどうやってキャッチしたり自分の行動におきかえていけるのだろうと思っていたときに、そもそも直接脳に働きかけることがいいのだと気づかされることがあった。

テレビを見ない(そもそも家にない)わたしは、(...つまり現在放送中の富山第一銀行さんのCMに出演させていただいているにも関わらずテレビではみる機会がない。ちなみにyoutubeにアップされていることを友人から聞いた。)このごろポッドキャストにはまってよく聞いている。興味深かったのがマウス実験で音楽を24時間聞かせたところ、「椿姫」(オペラ)を聞いたマウスの心臓は長く動き、昭和の名曲やHIPIHOPではそうはならないそうだ。音楽や匂いなどを繰り返し体に染み込ませることによって体内にこうした変化が起きるとその研究された先生が言っていた。本人がこうなろう、と思ってなれるものではないのだ。

五感の中でも嗅覚は直接脳に働きかけると言われている。このことを教えてくれたのは香りを愛する友人からだ。香りの情報は大脳辺縁系というところにダイレクトに届く。大脳には古い皮質と新しい皮質があり、香りは古い皮質に結びついている。ここが、人間の本能や喜怒哀楽などの情報を支配していると言われている。新しい皮質は思考や記憶と結びつき、理性が働くのはこちら側だ。大脳のうち、90%以上は新しい皮質で占められているのだそうだ。

そうなると、10%未満の大脳辺縁系の古い皮質のうちの97%はまさに無意識の無自覚のゾーン。(そんな単純な計算なわけないだろうって思ってしまうけど)香りとオペラ。この組み合わせ面白そう。

2019/02/14

誰のものでもない

ある日Tさんから電話がかかってきた。今年仕込んだ生ハムがあと2ブロックになって誰かに分けたいと思ったら、ちょうど私からの手紙が届いたのだそうだ。Tさんは国語教師の定年後から趣味でゴム判子絵を制作している。出会ったのは3年前で、私が企画担当していた展示にきてくださりご自身の作品を見せてくれたのがきっかけだ。名刺サイズの作品に詩的で独特の世界が広がっている。擬音語が混ざっているリズムの良いタイトルは口に出してみたくなる。多いものでは1作品に20種類の版があるそうだ。新聞記事の写真や週刊誌の広告、いつも作業しているダイニングテーブルから見える景色など作ってみたい題材があちらこちらにあると言う。

Tさんは生ハムを少しスライスしてくれ、他にも作ってあったハツのアヒージョや鯛の子の煮付けを小鉢に入れてくれた。昼間から飲みたくなるようなメニューだった。コーヒーに少しだけウイスキーを入れて、その後は焼酎を飲みながら話してくれた。

「70歳になってもなお制作意欲が消えることなく、目も元気なおかげで緻密な作品を作り続けられる。(会った時点で477点のゴム判子絵ができている)10日間ペースで作品が完成していくのだけど、ここまで作り続けれる自分、その意欲が湧き出るところはどこなのか、このような自分に自分自身がなりたいと思ってなっている訳でもなく、両親がこのようにした訳でもないんだなぁ…」と不思議そうに言う。「いろんな景色を見たり、人から聞いたり、書物を読んだり、そうして蓄積されたもので自分が成り立っていると思うと、自分の頭の中にあることや考えていることはどこかから誰かからもらった知識だったりするからそう思うと自分自身が持っているものとはさほど何もないんじゃないかと。考えていることは自分だけのものではないような気がするんですよね。だからだんだんとこの体も借り物のように思えてくるんですよ。西洋で言うならば...God、神が作ったとでも言うんですかね。」

流れに逆らわず、されど流されず。肩の力が抜けていて言葉に淀みがなかった。この共有している時間が奇跡のように思えた。帰りに新作を一枚くれた。手帳に挟んでおいた。生ハムは近日中に食べよう、美味しいワインを買って。

2019/02/08

物に宿る力

わたしの家はとっても物が多い。旅先で買ってきたもの、プレゼントでもらったもの、拾ったもの、いろいろある。今年の目標は「整理整頓」「断捨離」と書初めで書いたけど、早速この間HOUSEHOLDに来ていたやわい屋の行商でずっと欲しかった飛騨の妖怪を手に入れた。家族や子どもの成長を見守る妖怪。一つ目でにやりとした表情がとても気に入っている。

おまかせでオーダーしてもらえることが多いので、依頼内容とかオーダーしてくれた方の人柄とかを汲んで、遊べる振り幅を感じたときはお守りや魔除けのニュアンス加えた、普段作るリースやスワッグとは一味違った飾りを作ったりしている。そもそも、リースもスワッグもそういった意味合いがあるものだけど、近年はすっかり浸透してカジュアルなものになってきた。(贈り物にも選んでもらえるから嬉しい。)今まで作らせてもらった中でも印象に残っているのが、シッサスオバータ(ぶどうのつる)を三つ編みに編み込んで中に珊瑚を埋め込んだりフランスのブリキの飾りをつけたりしたお守り、唐辛子いっぱいの魔除けスワッグ、クロスの壁飾りなど。

祈りや願いを何かに託すこと、物に宿る力を人々は昔から信じてきた。私に頼んでくれた人へ気持ちを返したり伝えていくとしたら一つ一つ大切に作っていくことしか出来ないけれど、見えないけれど信じられる何かや伝わるものはあるような気がしてる。