2018/10/03

     

ニューヨークにいた日々が遠い過去のようになりつつあります。感動した気持ちを忘れないように、新鮮なうちに言葉に残しておこうと思っていたのに帰国してから早2週間です。

旅の目的はMOMAにある、アンリ・ルソー作 「夢」を観ること。原田マハさんの『楽園のカンヴァス』を何度も読み、死ぬまでにこの絵の前に立ってみたいと思い続けてきました。出発の数日前からなんとなく行き先をピックアップして、スムーズに入場する方法、美術館やお店の営業時間、休みなどを確認して、MOMAに行くのはニューヨークに到着して3日目に予定していました。(はじめは違うところに行き、目的の場所は中盤に取っておこうとする気持ちと休館日なども間に挟んだため) ところが行きの飛行機で再度読み返し、鼓動がおさまらないのです。いよいよ長年会いたいと想い続けてきた人に会えるような気持ちで落ち着かない。本の表紙を眺めてみたり、座席のポケットにしまったのにまた取り出したり。そうこうしているうちにJFK空港に到着しました。

日本にいる間にUberのアプリを取って、生まれて初めて呼び寄せたドライバーは笑顔が素敵な高評価のインド系の男性でした。カレーが好きなのでオススメのお店を聞くとちょうど宿泊先のホステルから徒歩圏内にあると行って、お店に寄り道してくれました。(後に滞在中に行ってみました)「どうしてニューヨークに来たの?」と聞かれたので「MOMAに行くため」と答えると、「今日行くのかい?」の返事に迷いが出てきた。

スーツケースを預けて、地下鉄に乗って、街へ向かうことに。


#newyorktrip

2018/05/19

     


 上映最終日、ほとり座にてニワトリ★スターを観てきた。DV・レイプ・ドラッグなど、観ていて気分が悪くなるシーンもあったが、終わってみるとひとすじの希望と元気がもらえる映画だった。
 上映後のかなた狼監督と井浦新さんの舞台挨拶で、「現実で起きている残忍な事件や様々な暴力(体に受けるだけでなく心に傷をおうものなど)があってもニュースではどこか他人事のようで、むしろ映画で観るシーンから悲惨さや恐ろしさを実感する場合もある。観る側の咀嚼の仕方によって何かのきっかけになることが映画の役割である。」と話しておられた。こういった表現が昭和の時代には当たり前のようにあって、それが表現として人々の間で認識され娯楽としてもとらえられていたのが、地上波で上映不可なことはもちろん、いろんな規制がかかって表現の幅が狭まっている現状を製作する角度から話される言葉には蓄積されたフラストレーションが感じられた。「気持ち悪いと感じられるのが自然な感情なんです。これに慣れてもらっては困る。」 激しいシーンを監督は怒鳴りつけながら撮影されたそうだ。中途半端なことを一切せず、しっかりと見せるすごまじい熱量から、どれほど神経をすり減らしてこの作品ができあがったのか、直接聞くことができたのはとても貴重な時間だった。これだけ本気で作られた映画を久しぶりに見たように思う。重ねて観ると、いろんな捉え方ができる作品だった。映画っていい!って心から思えた。


2018/04/28

   

 夏のように暑い東京は陽射しが強くて、歩くとだんだんと体がベタベタした。ビルの隙間を歩くと影はまだひんやりしていて、温度差に体がついていかない。
 ガラスの外では太陽を浴びた若葉が風に揺れており、クーラーがきいた屋内のフラワーマーケットはまるで避暑地のようだった。花瓶に入ったたくさんの瑞々しい花たちが艶っぽい姿を見せている。大好きなラックスのラナンキュラスやライラック、鉄線を見るとホテルに飾る用と夜に会う友人にプレゼントしたい、と衝動に駆られたがこれから始まる1泊2日の旅で、まだまだ外を歩くのだから確実に持たないからやめときなさいと何度も釘をさされた。選びたい花は暑さで弱ってしまいそうな花ばかりだったから。わたしは花を買う楽しみを諦めたけれど、帰り際に暑さに強いワイルドフラワーを1本買ってもらってサッと包んでもらった包みを持つと、一段気持ちが上がったように嬉しくなった。花を持つと幸せを連れている気持ちになる。出店の時に買いに来てくれるお客さんがみんな嬉しそうに花を抱えて歩いていくときの気持ちを味わった。




 夜には東京に住む家族のような友人夫婦と一緒にご飯を食べた。初めて紹介するパートナーと友人夫婦は初対面とは思えないほど楽しそうに仲良く話していたので、嬉しくなってわたしはおとなしくしていたけれど、家にある物の多さとか、掃除が苦手なことを3人からつつかれて気が小さくなった。普段は早朝から夜まで働きっぱなしでほぼ休みのないパートナーは電車に乗って飲みなおす店へ移るのも新鮮で楽しそうだった。夜の気温の低さは少し火照った体にちょうどよくて眠らない街の熱気にドキドキした。1日歩いてお酒も飲んで帰ったホテルでベッドにダイブするといつの間にか寝落ちしてしまって、体の気持ち悪さで起きてシャワーを浴びたのは午前1時だった。(もし花を買ってもこの日は部屋で楽しむ余裕はなかったかもしれない。旅先で賈う花を部屋にいけるのは好きなんだけどな)
 翌日は予定外で栃木の足利まで出かけることになった。「藤棚を見に行きたいね」と話していたのは去年の秋頃だろうか。いつになるだろうと期待していなかったことがこんなに早く実現するとは思わなかった。今年は花の季節も駆け足。通常5月に見頃の藤が4月中旬になった。フラワーパークはたくさんの観光客であふれていて、蜂も甘い蜜を吸いにやってきていた。人も虫も、花に引きつけられる。花の魅力はこんなにも偉大だ。その反面、人の多さにはげんなりしてしまった。この数年で海外の観光客が驚くほどに増えた事をここでも実感した。自分が地元に住んでいてチューリップフェアに行かない感覚と同じだな、と思った。おそらくこれが最初で最後の藤棚だろうな。



 
 誕生日もお祝いしてもらった。選んだのは勿忘草のペーパーウェイト。この嬉しさをいつまでも大切に想っていたいから。忙しい中貴重な時間を作ってもらった感謝の気持ちも忘れずに。



2018/03/10

    

 友人に紹介したい人がいると誘われてそのご夫婦の新居を訪ねた。エプロンを付けたスーパー主夫(ちゃんとお仕事もしていらっしゃいます)と赤ちゃんを抱っこした奥さまが迎えてくれた。お2人ともデザイナーで(奥さまはフィンランドに留学経験もお持ち)そのセンスが存分に感じられる家。ランチには旦那さまの研究を重ねたカレーとサラダ、食後には奥さま手作りのフィンランドメイドのブルーベリータルト。もてなしの気持ちと過ごした時間がとても心地よかった。(去年の初めに思い立ってフィンランドにいき、花瓶など買い付けて帰って来てから早1年。街を歩きながら、暮らすように過ごした数日が蘇ってきた。旅では一人だったとはいえ、あの感覚を日本で味わえるなんて。) どこかへ出かける刺激も旅ももちろんいいけれど、こうして友人と会い、家で食事をして、コーヒーを飲みながらあれこれ話す中にも十分に刺激と幸福感があった。時間軸が違う空間だった。それはきっとあのご夫婦と2人がこだわって作った空間に詰まっていた。
 
 「丁寧な暮らし」とか「洒落た空間」とかあるけれど、雑誌の中のような感覚、非日常というか。でもこの家はそういう類の空気ではなくて、本当に自分たちの住みたい空間と暮らし方を実現していてる感じがした。(もちろん小さな子供がいる家では隠し切れないものとかあって生活感が出たとしても、気にならないというか。赤ちゃんがいる家族で暮らしている現時点、という感じ)そういうところが北欧の空気が体に流れていた奥さまとデザイナーの旦那さまと、その想いをかたちにできる設計デザイナーさん(と施工できる職人さんたち)がいて、真剣でまっすぐな本物をみて、しゃんとした。
 
 


2018/03/06

      




 
 ひらすま書房さんでひらいたトークナイト「小さくても よいしごと」が終わりました。サブタイトルに -好きを仕事にするには- とあったけど、この会は仕事を辞めて好きなことをしてもらうことを推奨するのではなくて、自分らしい働き方や生き方を見つけたり探していくヒントやきっかけになったらいいなで開いた時間。(もちろん好きなことを仕事にすることを選んで生きていくのはいいと思います。)働いていれば、仕事について、職場について、自分自身についていろいろと考えたり悩んでしまうもの。参加してくださった方は、今の仕事に退屈な気持ちを持っている人から、アルバイトをしながら自分の好きなことにやっと気づいた人などがいらして。今回はひらすま書房さんがいくつかテーマカードをご用意してくれたので、参加される方が聞きたいテーマを選んで、わたしがそれについて話す、という形式になりました。

 花を触るようになったきっかけ、どんな風に今に至ったかなど ぼんやり思っていること考えていることなどを話しつつ、参加される方の質問にも答えて、そこからまた会話が広がっていく、、、というアットホームな会でした。予定時間終了してからの方が、みなさん気持ちがくだけてお互いいろいろ話せたんじゃないかな。
 普段お花を届けるときには相手の顔が見えたり、受け取った瞬間の空気がダイレクトに伝わるからわかりやすい。けれど、今回のトークは内容を聞いた人が自分の中で感じたり考えたり、その後何かのきっかけになることもあれば直接的には関係しないかもしれないので、結果として目に見えるものがなく(こんな感じでよかったのかしら~と)考えるところはあったけれど、ひらすまさんは自分の考えや経験してきたことと重なって、参加する方に自分が伝えたいと思っていたことを代弁してくれたと言われて、ほっとしました。帰りに球根つきのクロッカスをお土産に。みなさんのお家で花開かせているかな。

 わたしはひらすまさんのお気持ちでいただいたお心遣いをさっそく使い果たして、ひらすま書房でずっと気になっていた写真集を購入しました。新しいインスピレーションをもらって、また楽しい制作意欲に変えていこう。


2018/02/04

   

 妊娠や出産を経験したことがない私が、お腹にいた赤ちゃんを死産という形で出産しなければいけないお母さんの気持ちはわたしの想像してみる悲しみがペラペラに思えるくらいきっともっと深くてもっと心と体にずっしりと響いて、とてもとても簡単に言葉にできない。予定通り生まれてくるなら6月に、おめでとうっていってもらえるはずだったその赤ちゃんとお母さんに贈る供花を依頼されてお引き受けした。他の方から白い花はたくさん届いているだろうから、供花らしくなくてもいいのでお任せしたいと言われて、依頼のときに唯一指定された6月に咲く紫陽花を使って、小さな赤ちゃんのほんの少しだけ残った遺骨と並べられるくらいの小ぶりなアレンジを作った。
 
 花はそっと心に入っていやし寄り添ってくれる。言葉にできない思いや駆けつけたいけれどできない(あるいはするべきでない)ときにも代弁してくれる。ただそこに、小さくても力強くいてくれる存在。
 のちに枯れていっても、色褪せていっても、記憶とその人の気持ちを残しておけるような花を作っていきたい。
 


2018/01/28

   

 
  「ごはんでもいきましょう」って社交辞令も多いけれど、お互いの予定を調整できるよう昨年末から連絡をしてくれて、あぁほんとに実現するって嬉しいな、と素直に思った。仕事とプライベートでの印象は少し違って、ちょっとラフな雰囲気が親しみやすく感じた。その人は自分の感覚を大切にしていて、外へはアンテナが張られていて内は物事を静かに見つめるような目があって、久しぶりに日頃にない刺激をもらった。焼菓子をもらったお礼に渡した花束が窓辺にそっと飾られている写真を見て、嬉しい反面そこに自分がいるような気がしてちょっと恥ずかしくなった。

 あ、贈り物ってそういうものなんだなぁとその時思った。洗面所に立って手にする手づくりのヘアバーム、THREEのスキンケアやBULYのボディクリーム、たくさんの器たち。プレゼントしてくれた相手をふとしたとき意識する。物が多くていろんなものが埋もれてしまっている我が家をもう少しすっきりさせることができたら、ひとつひとつがもっと際立って存在感が増すだろう。

 花が飾られ整理整頓された一枚の写真がそう教えてくれた。