そして、久しぶりに劇場へ足を運びました。
2013年に公開された『わたしはロランス』。
当時劇場で見逃したことを惜しんでいた一作品。
グザヴィエ・ドラン最新作の『Mommy』にあわせて、
地元の劇場でドランの特集が組まれ、2日間だけの再上映。
愛おしさも慈しみも、怒りも悲しみも、
どの感情もすべてがまっすぐに、
すべては愛であるというたった一つのメッセージ。
つかみどころのないものかもしれないけれど
確かにそこにあって、目に見える。
心の目に、しっかりと焼き付いて
そのあとのヴィヴィアン佐藤さんのシアタートークと
風景と食設計室ホーの映画のシーンを切り取ったフードインスタレーションで
その空間にいたみんながわたしはロランスの時間と
それぞれの感情やこの映画に対する思いを共有しあった。
性別も国籍も環境が違っても、きっとその垣根を超えるのは愛。
それでも、
常識やあるべき姿、または自分自身が描く理想や、周囲の声などに
影響されて、つまずいて、悩んで、
まっすぐで純粋な想いを貫くのは難しい社会。
その踏み出せない境界線でもがいている。
立場が違っても、そういう想いを持っている人がきっと沢山いる。
良い・悪いだけでは判断できない、選択。
普通といわれるものを選んだら、それが幸せなのだろうか。
異質と感じられるものを選んだら、それが不幸せなのだろうか。
守りたいものと、貫きたいものを天秤にかけざるを得なくなって
片方しか選べないこともある。
白か黒かで決めつけてしまうのは、
一つのものさしでみた場合であって、
違う方向からの景色は全く違っていることは多くある。
感情を相手に投げてさらけだして喜び、悲しみ、涙する、
人々の姿は人間らしさがにじみ出て、美しさがあった。
自分の感情にうそをつかない、まっすぐな愛を持って生きていたい。