2019/03/07

全てを飛び越えて

幼い頃家の周りには緑がたくさんあった。空き地は一面シロツメクサでいっぱいになり、近くの公園には葛が生い茂って、通りを挟んで向かいの斜面にある大きな木から垂れ下がる蔓でブランコができた。母に葛の蔓でリースの土台の作り方を教えてもらい、、妹と花冠作って暗くなるまで遊んでいた。今は住宅が建ってその姿は跡形もない。
リースづくりが自分の人生を大きく作っていくとは思ってもいなかった。人との出会いを与えてくれ、生きている感覚を味あわせてくれている。過去(幼少期の自分も、ずっと昔リースが誕生して、人々が飾ってきた歴史)と今と未来(これから進んでいく道)をつなぐリースが、まさに物事の調和の象徴である丸い形をしており、途切れない縁を意味している。月桂樹の輪が起源とされるリースは幸せを願うもの。円の中に描かれる仏教の曼荼羅。太陽も丸い。まるいものに対する印象は時代も人種も性別も飛び越えて普遍的な感覚なのかもと思えてきた。
わたしはリースを作り続けている。人の気持ちを吹き込むように。見えないけれど存在している価値観。全てを飛び越えてみんなが持っている無意識の価値観はきっと本当に大切なもののような気がしている。

2019/03/02

物語が失われたあとに

いつも物語が届く。誰にどんなシーンでお花を贈るのか、相手の好みや人柄について。自宅用ならインテリアのテイストや飾りたい場所の写真も一緒に。先日はお子さんが病気がちで、それに伴い引っ越しをする方から新居に飾る唐辛子のスワッグを頼みたいとご連絡をいただいた。「新しい暮らしが健やかで笑顔溢れるものであるように」と頼んでくれた方の真っ直ぐな願いが伝わってきた。
飾られたリースやスワッグはだんだんと色褪せて、きっと物語性や臨場感も少しずつ失われてその空間に馴染んでいく。その場にあるのが気にもとめないほど自然なかたまりのように。ただの作品から、ただのものになって、その時初めてそのもの自身の力を見るような気がする。ただ、ありのままの存在と、本当の想いだけが残っているような。それが本来のリースの姿であり、自分が作り続けていることに対しての一つの光を見つけたような気持ちになっていた。
インスタグラムにリースを1つポストした。友人がわたしの作ったばかりのリースをみて「願いが叶いそうな気がする」とつぶやいた。もしかしたら、物語性と臨場感の鮮度に左右されずにそのものの力は既に存在しているのかもしれない、と思った。