2019/01/29
mature / マチュアな人
頭の中にある考えと胸の中に閉まってあった気持ちを並べた。並べた状態を傍観できるということは、自分の感情を認めて落ち着いているということだから、知らなかった感覚に出会った感じだ。感情的にならず、物事を少し自分から離すことによって、いろんな角度から見てみることができる。意識をコントロールできる精神力を自分のものにするためには受け入れること、認めることから始めよう。大坂なおみ選手、本当に凄かったな。感動して涙が出た。
2019/01/26
リズム
なんだか自分が少し不気味なくらい落ち着いている。雪が降って真っ白になった今日の景色みたいに心がしーんとして、意地をはっている訳ではなく、冷静に考えるために、相手の存在を自分の中で確かめている。
苛立ちと悲しさがあふれた後、最優先に考えていること、歩幅が違うのだとだんだんと気付いてきた。盲目になっていた自分から解放されて、やっと本当はどんな風に花と向き合い、どんな風に続けて生きていきたいかを想像しはじめた時、他人の人生に無理にすり合わせようとしたり、周りの意見に振り回されていたように思えてきた。
その一方で、相手の心情を全く察することができていなかったのかなとも振り返っている。元気づけようと仕事の合間をぬって顔を見せてくれた相手に、風邪で休んでベッドにいるとあれこれと思いを巡らす時間が増えてしまって(しかもよいイメージを膨らませれてない時。)そのまま思っていたことを話してしまったため、相手にとっては唐突すぎたかもしれない。いつかはクリアしないといけないことなのは、きっと相手も十分理解しているはずなのに。一緒に歩いていく歩幅、リズムを感じれていなかった。
心でわかり合える(と思っている)友人が、アウトプットしたら無意識の具現化に近づけるよと言ってくれた。「無意識の具現化」はここ最近自分の中ではキーワードになっている。自分が意識していない潜在的なイメージを呼び覚ましたい。
今年はなるべくブログを書く、も小さな目標に加えよう。
2019/01/25
涙が出るほど嬉しかったこと
昨日は咳がひどくて病院へ行き薬を処方してもらった。今日はその薬のおかげで咳は随分楽になってきたが午後から胃が痛くなってきて帰宅してからも治まらなかったので食事を取らないことにした。納品の唐辛子魔除けスワッグをお渡ししてからしばらく本を読んだり、ネットサーフィンをしていた。それから身体をリフレッシュさせようと湯船にお湯をはり、友人からお土産でもらった草津の薬草入浴剤を入れて温まった。胃が痛いのは少し緩んでも何かを食べたい感覚がない。ただ、断食効果か妙に思考がクリアというか、やっと今スタート地点に立って、物事を考え始めれそうな感覚。
ソファに座りながら横に目をやると、菊が花瓶にもたれかかりながら少しだるそうにしているように見える。ストーブをつけると部屋の中がすっかり暖かくなってしまい、昨年末からいたこの菊もいよいよ頭が重たくなってきたようだ。
花は茎が大事、と尊敬する方が言っていた。よく見ると茎に元気がなくなっている。花の姿はそれほど変わっていなかったのに。
見えることと見えないこと。
普段言わないけれど、わかっていたり考えてくれていたりするかもしれない。
そんな風に昨日ぶつかってしまった相手のことを考えていた。
そう思っていたら、とっても大好きなお花屋さんのオーナーの方からメールのお返事がきた。
今、涙が溢れているけれど、綴っていた途中だったので勢いに任せて書いてしまおう。
移転される前の、小さなお店に行ったのは今から6年(もっと?)くらい前だと思う。花束を作るワークショップ。好きなお花を選んで、束ね方を簡単に習って、あとは自分が納得するまでやってみた。何が正解かわからなかった。でも花の力なのか、ずっと来たかった場所に来れた嬉しさで舞い上がっていた。できたらエコゼリーで保水して茶紙でラッピングしてもらった。憧れの人で、恥ずかしくて、あと自分が花をやっていくことも、そもそも自分自身に自信がなさすぎて、全然話せなかった気がする。
それからいつもその方のブログを読んだり、HPを見たりして勇気をもらいながら自分がやりたいことってなんだろうと考えて、夢中で花を触っているうちにいつの間にか声をかけてくれる人が出てきて、とにかくがむしゃらで、作るのもオーダーの内容から自分のフィルターで想像するのも楽しくて仕方なかった。その当時の純粋な気持ちだけでは今はできていなくて、でもそれって当然のことかと思うけれど、いろんな意見や考えの中に溺れてしまいそうで、ついにその方にメールをしてしまった。
こちらの事情は詳しくわからなくても、丁寧なお返事とエールが伝わってきて本当に嬉しかった。
私はこの今日のスタート地点から諦めずに自分に後悔しないで生きることに純粋になっていこうと思う。
12月末からある菊。
ソファに座りながら横に目をやると、菊が花瓶にもたれかかりながら少しだるそうにしているように見える。ストーブをつけると部屋の中がすっかり暖かくなってしまい、昨年末からいたこの菊もいよいよ頭が重たくなってきたようだ。
花は茎が大事、と尊敬する方が言っていた。よく見ると茎に元気がなくなっている。花の姿はそれほど変わっていなかったのに。
見えることと見えないこと。
普段言わないけれど、わかっていたり考えてくれていたりするかもしれない。
そんな風に昨日ぶつかってしまった相手のことを考えていた。
そう思っていたら、とっても大好きなお花屋さんのオーナーの方からメールのお返事がきた。
今、涙が溢れているけれど、綴っていた途中だったので勢いに任せて書いてしまおう。
移転される前の、小さなお店に行ったのは今から6年(もっと?)くらい前だと思う。花束を作るワークショップ。好きなお花を選んで、束ね方を簡単に習って、あとは自分が納得するまでやってみた。何が正解かわからなかった。でも花の力なのか、ずっと来たかった場所に来れた嬉しさで舞い上がっていた。できたらエコゼリーで保水して茶紙でラッピングしてもらった。憧れの人で、恥ずかしくて、あと自分が花をやっていくことも、そもそも自分自身に自信がなさすぎて、全然話せなかった気がする。
それからいつもその方のブログを読んだり、HPを見たりして勇気をもらいながら自分がやりたいことってなんだろうと考えて、夢中で花を触っているうちにいつの間にか声をかけてくれる人が出てきて、とにかくがむしゃらで、作るのもオーダーの内容から自分のフィルターで想像するのも楽しくて仕方なかった。その当時の純粋な気持ちだけでは今はできていなくて、でもそれって当然のことかと思うけれど、いろんな意見や考えの中に溺れてしまいそうで、ついにその方にメールをしてしまった。
こちらの事情は詳しくわからなくても、丁寧なお返事とエールが伝わってきて本当に嬉しかった。
私はこの今日のスタート地点から諦めずに自分に後悔しないで生きることに純粋になっていこうと思う。
12月末からある菊。
2019/01/24
気づきかけたもの
風邪を引いたまま東京に行ってきた。絵本に携わる仕事をしてきて6年。ちひろ美術館には前々から行きたいと思っていて、生誕100周年に合わせて色々なアーティストとコラボした展示の最後が写真家の長島有里枝さんだったのでもう今しかないと思った。
ちひろの絵は昔はただ優しく可愛らしいものだと思っていたけれど、絵を描き続ける信念と愛が作品に込められていると感じて見方が変わった。力強く、優しくたくましく、自分を信じて生きた様に勇気をもらう。
長島さんの写真は自分の息子さんが生まれて大きくなっていく過程を展示してあり、アルバムを開いているような気分だった。これはきっと、普遍的な母からみた子を想う目線、愛だなと思った。そして写真を見ていると自分の小さかった頃とリンクして、自分がどんな風に育てられたかなと母を思った。展示室の真ん中に直筆の日記があった。子供を育てる母の心と、作家の心と、女性の心、いろんな心が混ざり合った、嘘のない言葉が綴られていた。人間らしくて、生きることに誠実で必死で、カッコつけているんじゃなくて、芯が通っていて、だからとってもカッコよかった。
勇気付けられて帰ってきたわたしは自分の迷っていたこと、見てきたもの、感じたことなどを抱えてまた考えて、それなのに今は自分自身がわからなくなっている。いろんな意見を聞くうちに、自分が自分を幸せにすることも純粋に思っていたこともなんだかぼやけてしまっている。あの時の勇気と気づきかけたシンプルな感覚は何だったのだろう。答えは簡単に出ない。
ちひろの絵は昔はただ優しく可愛らしいものだと思っていたけれど、絵を描き続ける信念と愛が作品に込められていると感じて見方が変わった。力強く、優しくたくましく、自分を信じて生きた様に勇気をもらう。
長島さんの写真は自分の息子さんが生まれて大きくなっていく過程を展示してあり、アルバムを開いているような気分だった。これはきっと、普遍的な母からみた子を想う目線、愛だなと思った。そして写真を見ていると自分の小さかった頃とリンクして、自分がどんな風に育てられたかなと母を思った。展示室の真ん中に直筆の日記があった。子供を育てる母の心と、作家の心と、女性の心、いろんな心が混ざり合った、嘘のない言葉が綴られていた。人間らしくて、生きることに誠実で必死で、カッコつけているんじゃなくて、芯が通っていて、だからとってもカッコよかった。
勇気付けられて帰ってきたわたしは自分の迷っていたこと、見てきたもの、感じたことなどを抱えてまた考えて、それなのに今は自分自身がわからなくなっている。いろんな意見を聞くうちに、自分が自分を幸せにすることも純粋に思っていたこともなんだかぼやけてしまっている。あの時の勇気と気づきかけたシンプルな感覚は何だったのだろう。答えは簡単に出ない。
2019/01/21
言葉にならないものを具体化する
先週くらいから風邪をひいて、熱は下がり、咳と鼻水が続いている。咳をするとイガイガしたところを震源に身体中に振動が起きる。背中を後ろから思いっきり叩かれるような感じ。咳がおさまった後は身体にくる疲れ。久しぶりに長引いている。
このような身体に起きる変化、痛みを図式化して表したアーティストが富山にいることを知ったのは昨年行った「HEARTの中のART」というアール・ブリュットの展示だった。この展示は「アート工房NPO cocopelli」や「ばーど◎とやま」という団体でアール・ブリュットのアーティストを支援したり、広めている米田さんが企画しておられた。わたしはここ5年ほどある施設内のギャラリースペースの展示・企画の仕事をしていて、毎年cocopelliに所属しているアーティストに展示をしてもらってきた。色々な作品を見るたびに、大胆な色使いや筆使い、思いもしないような表現方法に心を動かされる。米田さんとの出会いがアール・ブリュットの世界への扉を開いてくれた。
その痛みなどを図式化しているアーティストは作品を発表するために描きつづけている訳ではなく、自分の身体における変化、症状、痛みと向き合い、折り合いをつけるために毎日記録しているというものだった。美術教育を受けていない人が独自の表現方法で作品を作るアール・ブリュットの魅力がここにあるのだと思う。米田さんもこのアーティストとの出会いは本当に衝撃だったと熱を込めて作品を見ながら紹介してくださった。
去年、cocopelli所属の島雄介さんの作品を購入させてもらった。A1サイズほどの紙に隙間なく色鉛筆で塗られている。島さんは旅先の景色や旅行の日程などを事細かに記憶していて、その記憶を元に絵を描いていくアーティストだ。建物が得意(すき?)で自分では建築物や道路を描くことが多いがリクエストがあれば動物や花なども描いている。わたしはたくさんの作品の中から大胆な構図で描かれた羊の表情と色のバランスが絶妙に良かった一枚を選んだ。だがあまりに大きくて飾る壁がないせいでまだ額も探せていない。
※写真は全てHEARTの中のARTで展示されていたもの
2019/01/19
新しい方程式
相談ごとがあって頼れる存在の友人に連絡し、年明けから食べてないものを聞かれて焼肉をリクエストした。今日は飲まないでおこうと思っていたけれど、「焼き肉食べるのにビールなしとかないだろ!代行使え!」と言われてあっさり折れた。(特に飲まない理由もなかったけれど、帰ったら制作しなきゃな~とか思うと自制してしまう。つまらない女だ。)
久しぶりの生ビールが美味しく感じられナムルもりあわせをつつきはじめたころ、男性客2人が入ってきて「予約をしたんだけど」と言っているように聞こえた。すでに満席になっていて、私達が通されたところが空いていた最後のテーブルだったから少し気まずくなった。店主がすぐに男性客2人を店の外に連れて行ったので、目の前でなにもおこらなかったことにほっとした。店主が予約があったことを忘れていたとしたら、あの男性2人には申し訳ないことをしたな。
片手にビール、片手にトング、焼き奉行をしながら友人の話に耳を傾けて、これから自分がどうしていくかについて改めて考えた。自分のことは理解できているようでできていない。深く考えすぎる前に一歩出る勢いと、石橋を叩いて渡らない性格がこの先を定めてくれない時は自分をよく知る友人に意見を聞いてみるのもいい。ときには立ち止まらせてくれるアドバイスや、普段は反応することのない部分にチクリと刺激をくれたりする。自分でもコンプレックスの一つに真面目な性格があって、今まで付き合ってきた彼氏にも会った友人にも「真面目だよね」と言われた。それは決していい意味で言っていないように聞こえる。なんというか、こう、突き抜け感、アンバランスさ、ユーモア。そういうものが足りなくて、いつも小ぎれいにきちんとまとまってしまう。そこは自分でもなんとなく感じている部分。真面目 =つまらない。この方程式がずっとある。このコンプレックスに何かを足し引きしたり、かけあわせたり割ったりしたら新しい世界が見えるかもしれない。新しい方程式、これから作るぞー。
久しぶりの生ビールが美味しく感じられナムルもりあわせをつつきはじめたころ、男性客2人が入ってきて「予約をしたんだけど」と言っているように聞こえた。すでに満席になっていて、私達が通されたところが空いていた最後のテーブルだったから少し気まずくなった。店主がすぐに男性客2人を店の外に連れて行ったので、目の前でなにもおこらなかったことにほっとした。店主が予約があったことを忘れていたとしたら、あの男性2人には申し訳ないことをしたな。
片手にビール、片手にトング、焼き奉行をしながら友人の話に耳を傾けて、これから自分がどうしていくかについて改めて考えた。自分のことは理解できているようでできていない。深く考えすぎる前に一歩出る勢いと、石橋を叩いて渡らない性格がこの先を定めてくれない時は自分をよく知る友人に意見を聞いてみるのもいい。ときには立ち止まらせてくれるアドバイスや、普段は反応することのない部分にチクリと刺激をくれたりする。自分でもコンプレックスの一つに真面目な性格があって、今まで付き合ってきた彼氏にも会った友人にも「真面目だよね」と言われた。それは決していい意味で言っていないように聞こえる。なんというか、こう、突き抜け感、アンバランスさ、ユーモア。そういうものが足りなくて、いつも小ぎれいにきちんとまとまってしまう。そこは自分でもなんとなく感じている部分。真面目 =つまらない。この方程式がずっとある。このコンプレックスに何かを足し引きしたり、かけあわせたり割ったりしたら新しい世界が見えるかもしれない。新しい方程式、これから作るぞー。
2019/01/15
会って話をしよう
韓国帰りの友人と2人で年初めの新年会。飲めない彼女と飲めるけど運転手の私、一杯目はノンアルコールのスパークリングで乾杯。蜂蜜のような甘い香りがフワッと広がった。家でも飲みたいと思って名前を店員さんに聞いてから帰ろうと思っていたのに、おしゃべりに夢中になって聞くのを忘れたことに気付いた。
東京と富山を行き来しながら、いろいろディレクションしたりコーディネートしたり、時にはフードケータリングしたりと何しているのか一見わからないのがMちゃん。共通の知人から名前は聞いていて、(Mちゃんも同じように私の名前を聞いていたらしい)去年ENIGMEで閉店を惜しむように開かれた「最中の会」でやっと会えた人だ。巡り巡っても会える人には会えるのかも。
ここ数年で友人たちの結婚出産など生活スタイルの変化、自分も制作と仕事とパートナーとの時間などいろんなことが変化していって出不精になってしまったし、自信のなさや不安と恐怖からネガティブ思考になって殻の中に閉じこもって抜けられなくなってしまうので、そういうところを克服したい気持ちがある点でも、颯爽としているMちゃんが私に通してくれる風は嬉しいしありがたい。今年はできるだけ人と会うようにしよう。
東京と富山を行き来しながら、いろいろディレクションしたりコーディネートしたり、時にはフードケータリングしたりと何しているのか一見わからないのがMちゃん。共通の知人から名前は聞いていて、(Mちゃんも同じように私の名前を聞いていたらしい)去年ENIGMEで閉店を惜しむように開かれた「最中の会」でやっと会えた人だ。巡り巡っても会える人には会えるのかも。
ここ数年で友人たちの結婚出産など生活スタイルの変化、自分も制作と仕事とパートナーとの時間などいろんなことが変化していって出不精になってしまったし、自信のなさや不安と恐怖からネガティブ思考になって殻の中に閉じこもって抜けられなくなってしまうので、そういうところを克服したい気持ちがある点でも、颯爽としているMちゃんが私に通してくれる風は嬉しいしありがたい。今年はできるだけ人と会うようにしよう。
2019/01/11
2019/01/07
覚悟ができるか
年末年始に実家でゆっくり過ごしすぎてしまって、今年の仕事始めはいつになく億劫だった。本当は年内に制作し終えていたらよかったなぁと思うオーダーのいくつかを年明けの納品に伸ばさせてもらった。クリスマスリース、注連飾り、結婚式で渡すお祝いなど期限が決まっているものから取り掛かっていると時間が追い付かなくなってしまって、甘えた形になったのだけど、ひとつひとつ丁寧に作りたい気持ちを優先させてもらった。
花の制作ともう一つの仕事をやり続けてきたけれど(といってもオーダーが全然ない時期もあったから、花の制作はほぼ趣味というか好きなことをさせてもらって遊ばせてもらっているような感じで、体を壊したことがきっかけで花から離れた時期もあった)この2年ほどは毎日その日暮らしのような時間の使い方で、家事の時間を削り(料理はほぼ放棄して)、睡眠時間を減らして制作していた。とても丁寧とはほど遠い生活で、偏頭痛も頻繁になり頭痛薬が手放せなくなってしまった。変えるなら今かなと思い、新年にゆーみんとの書き初めで「覚悟」と書いた。年始に両親とパートナーと4人で食事をしたときに父が私たちへ「人生は覚悟ができるかどうかだよ」と言った。それがとても心に残ったから。いろいろな変化が起こりそうな予感がする。ハッピーなことも、つらいこともあるかもしれないけれど、自分が決めたことなら納得できる。人のせいにしたりしないから。
花の制作ともう一つの仕事をやり続けてきたけれど(といってもオーダーが全然ない時期もあったから、花の制作はほぼ趣味というか好きなことをさせてもらって遊ばせてもらっているような感じで、体を壊したことがきっかけで花から離れた時期もあった)この2年ほどは毎日その日暮らしのような時間の使い方で、家事の時間を削り(料理はほぼ放棄して)、睡眠時間を減らして制作していた。とても丁寧とはほど遠い生活で、偏頭痛も頻繁になり頭痛薬が手放せなくなってしまった。変えるなら今かなと思い、新年にゆーみんとの書き初めで「覚悟」と書いた。年始に両親とパートナーと4人で食事をしたときに父が私たちへ「人生は覚悟ができるかどうかだよ」と言った。それがとても心に残ったから。いろいろな変化が起こりそうな予感がする。ハッピーなことも、つらいこともあるかもしれないけれど、自分が決めたことなら納得できる。人のせいにしたりしないから。
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