2019/06/03

真逆を捉える

半年ぶりに会った海外好きの友人から縁あった男性のいるところへ飛んでいくと報告を受けた。自分が想像しなかった展開や今までの価値観や常識がひっくり返ることが目の前で起こってる。(...と言っても年に1度は海外旅行する友人がメキシコへ嫁に行くことはさほど驚きではないのだけど)彼女は物事が進んでいく展開に戸惑いながらも、ふふふと笑っていた。彼女らしい生き方が嬉しくなった。私はメキシコに遊びにいく理由ができた。
私は小さな変化と決断をしながら、2ヶ月ほど過ぎた。(まだ焦りや危機感はない。あったらもっと違う時間の使い方をしていただろうけど)平穏には進展も後退もないのか?刺激したらイメージ通り転がるのか?幸福感は他人が判断できるのか、それとも客観視するから見える現実か。まずは一呼吸おいてみようと、持ち抱えたまま新月の夜を過ごしている。先を見るあまりに目の前を大切にできないと思って選択していた事が今までの価値観だとしたら、視点を変えて行動することは自分にとっては180度反対の価値観なのかもしれない。さぁ、勇気を持って、と自分に言い聞かせる。

2019/03/07

全てを飛び越えて

幼い頃家の周りには緑がたくさんあった。空き地は一面シロツメクサでいっぱいになり、近くの公園には葛が生い茂って、通りを挟んで向かいの斜面にある大きな木から垂れ下がる蔓でブランコができた。母に葛の蔓でリースの土台の作り方を教えてもらい、、妹と花冠作って暗くなるまで遊んでいた。今は住宅が建ってその姿は跡形もない。
リースづくりが自分の人生を大きく作っていくとは思ってもいなかった。人との出会いを与えてくれ、生きている感覚を味あわせてくれている。過去(幼少期の自分も、ずっと昔リースが誕生して、人々が飾ってきた歴史)と今と未来(これから進んでいく道)をつなぐリースが、まさに物事の調和の象徴である丸い形をしており、途切れない縁を意味している。月桂樹の輪が起源とされるリースは幸せを願うもの。円の中に描かれる仏教の曼荼羅。太陽も丸い。まるいものに対する印象は時代も人種も性別も飛び越えて普遍的な感覚なのかもと思えてきた。
わたしはリースを作り続けている。人の気持ちを吹き込むように。見えないけれど存在している価値観。全てを飛び越えてみんなが持っている無意識の価値観はきっと本当に大切なもののような気がしている。

2019/03/02

物語が失われたあとに

いつも物語が届く。誰にどんなシーンでお花を贈るのか、相手の好みや人柄について。自宅用ならインテリアのテイストや飾りたい場所の写真も一緒に。先日はお子さんが病気がちで、それに伴い引っ越しをする方から新居に飾る唐辛子のスワッグを頼みたいとご連絡をいただいた。「新しい暮らしが健やかで笑顔溢れるものであるように」と頼んでくれた方の真っ直ぐな願いが伝わってきた。
飾られたリースやスワッグはだんだんと色褪せて、きっと物語性や臨場感も少しずつ失われてその空間に馴染んでいく。その場にあるのが気にもとめないほど自然なかたまりのように。ただの作品から、ただのものになって、その時初めてそのもの自身の力を見るような気がする。ただ、ありのままの存在と、本当の想いだけが残っているような。それが本来のリースの姿であり、自分が作り続けていることに対しての一つの光を見つけたような気持ちになっていた。
インスタグラムにリースを1つポストした。友人がわたしの作ったばかりのリースをみて「願いが叶いそうな気がする」とつぶやいた。もしかしたら、物語性と臨場感の鮮度に左右されずにそのものの力は既に存在しているのかもしれない、と思った。

2019/02/22

悩むと考えるは違う

あぁ、また気配りするポイントがずれているんじゃないかな?と対応を見ながら思う。そしてわたしはまたがっかりさせられている。やったこと自体が悪いのではなく、それをするまでの考えが何もなく、思いつきのようで浅はかだなと感じるところに腹を立てているのをきっとわかっていないだろう。(ただ拗ねてるぐらいにしか思っていなさそう。)物事の考え方や価値観がピタっとはまるときも違和感を感じることも、どちらもあるというのが自然なのだと思う。むしろ何もかもが同じ方が不自然なのだ。(世の中にはほんとうに似たもの同士の場合ももちろんあるだろうし、それが自然な人もいるだろうから、これは私たちの場合だ。)今までは傷つくことがあるたびに、その生じた出来事と自分の感情だけに覆いかぶさってしまって、負のループから全然抜け出せなかったのだけど、この頃やっと(すでに起きてしまった)事実として受けとめて自分のその時の態度を客観視したり相手のことを考えたり、関係を見つめ直すことが少しだけ、できるようになってきた。悩むと考えるは違う、と以前勤めていた事務所のKさんに言われたのを思い出した。検索してみると、悩むは思い煩い過去の視点で捉えつづけること、考えるはゴールに向かって未来の視点で物事を捉え変化を起こすプロセスのことだそうだ。きっと未来をよりよくしたいという気持ちが、ある日扉が開いたように悩むと考えるの違いを気づかせてくれたように思う。こうしていろいろぼやいているけれど、大事な人と、大事な人が大事にしている人たちと一緒にいる未来を思っているし、私に関わってくれる人も自分自身も楽しく気持ちよく生きていける未来を想像したい。

2019/02/20

香り × オペラが最強説?

人の脳は自分のことを認知できるのは3%なのだそうだ。残りの97%の中に無意識の本音が隠れていると言われていることを知った。無意識の中にある、自分が本当にくみ取りたい本音をどうやってキャッチしたり自分の行動におきかえていけるのだろうと思っていたときに、そもそも直接脳に働きかけることがいいのだと気づかされることがあった。

テレビを見ない(そもそも家にない)わたしは、(...つまり現在放送中の富山第一銀行さんのCMに出演させていただいているにも関わらずテレビではみる機会がない。ちなみにyoutubeにアップされていることを友人から聞いた。)このごろポッドキャストにはまってよく聞いている。興味深かったのがマウス実験で音楽を24時間聞かせたところ、「椿姫」(オペラ)を聞いたマウスの心臓は長く動き、昭和の名曲やHIPIHOPではそうはならないそうだ。音楽や匂いなどを繰り返し体に染み込ませることによって体内にこうした変化が起きるとその研究された先生が言っていた。本人がこうなろう、と思ってなれるものではないのだ。

五感の中でも嗅覚は直接脳に働きかけると言われている。このことを教えてくれたのは香りを愛する友人からだ。香りの情報は大脳辺縁系というところにダイレクトに届く。大脳には古い皮質と新しい皮質があり、香りは古い皮質に結びついている。ここが、人間の本能や喜怒哀楽などの情報を支配していると言われている。新しい皮質は思考や記憶と結びつき、理性が働くのはこちら側だ。大脳のうち、90%以上は新しい皮質で占められているのだそうだ。

そうなると、10%未満の大脳辺縁系の古い皮質のうちの97%はまさに無意識の無自覚のゾーン。(そんな単純な計算なわけないだろうって思ってしまうけど)香りとオペラ。この組み合わせ面白そう。

2019/02/14

誰のものでもない

ある日Tさんから電話がかかってきた。今年仕込んだ生ハムがあと2ブロックになって誰かに分けたいと思ったら、ちょうど私からの手紙が届いたのだそうだ。Tさんは国語教師の定年後から趣味でゴム判子絵を制作している。出会ったのは3年前で、私が企画担当していた展示にきてくださりご自身の作品を見せてくれたのがきっかけだ。名刺サイズの作品に詩的で独特の世界が広がっている。擬音語が混ざっているリズムの良いタイトルは口に出してみたくなる。多いものでは1作品に20種類の版があるそうだ。新聞記事の写真や週刊誌の広告、いつも作業しているダイニングテーブルから見える景色など作ってみたい題材があちらこちらにあると言う。

Tさんは生ハムを少しスライスしてくれ、他にも作ってあったハツのアヒージョや鯛の子の煮付けを小鉢に入れてくれた。昼間から飲みたくなるようなメニューだった。コーヒーに少しだけウイスキーを入れて、その後は焼酎を飲みながら話してくれた。

「70歳になってもなお制作意欲が消えることなく、目も元気なおかげで緻密な作品を作り続けられる。(会った時点で477点のゴム判子絵ができている)10日間ペースで作品が完成していくのだけど、ここまで作り続けれる自分、その意欲が湧き出るところはどこなのか、このような自分に自分自身がなりたいと思ってなっている訳でもなく、両親がこのようにした訳でもないんだなぁ…」と不思議そうに言う。「いろんな景色を見たり、人から聞いたり、書物を読んだり、そうして蓄積されたもので自分が成り立っていると思うと、自分の頭の中にあることや考えていることはどこかから誰かからもらった知識だったりするからそう思うと自分自身が持っているものとはさほど何もないんじゃないかと。考えていることは自分だけのものではないような気がするんですよね。だからだんだんとこの体も借り物のように思えてくるんですよ。西洋で言うならば...God、神が作ったとでも言うんですかね。」

流れに逆らわず、されど流されず。肩の力が抜けていて言葉に淀みがなかった。この共有している時間が奇跡のように思えた。帰りに新作を一枚くれた。手帳に挟んでおいた。生ハムは近日中に食べよう、美味しいワインを買って。

2019/02/08

物に宿る力

わたしの家はとっても物が多い。旅先で買ってきたもの、プレゼントでもらったもの、拾ったもの、いろいろある。今年の目標は「整理整頓」「断捨離」と書初めで書いたけど、早速この間HOUSEHOLDに来ていたやわい屋の行商でずっと欲しかった飛騨の妖怪を手に入れた。家族や子どもの成長を見守る妖怪。一つ目でにやりとした表情がとても気に入っている。

おまかせでオーダーしてもらえることが多いので、依頼内容とかオーダーしてくれた方の人柄とかを汲んで、遊べる振り幅を感じたときはお守りや魔除けのニュアンス加えた、普段作るリースやスワッグとは一味違った飾りを作ったりしている。そもそも、リースもスワッグもそういった意味合いがあるものだけど、近年はすっかり浸透してカジュアルなものになってきた。(贈り物にも選んでもらえるから嬉しい。)今まで作らせてもらった中でも印象に残っているのが、シッサスオバータ(ぶどうのつる)を三つ編みに編み込んで中に珊瑚を埋め込んだりフランスのブリキの飾りをつけたりしたお守り、唐辛子いっぱいの魔除けスワッグ、クロスの壁飾りなど。

祈りや願いを何かに託すこと、物に宿る力を人々は昔から信じてきた。私に頼んでくれた人へ気持ちを返したり伝えていくとしたら一つ一つ大切に作っていくことしか出来ないけれど、見えないけれど信じられる何かや伝わるものはあるような気がしてる。

2019/02/04

言葉を綴じる日々

Mさんはとてもパワフルな女性だ。県内にいくつも教室を開いており、障害を持つ子の支援をし、ライブパフォーマンスや制作など自身の活動もしている。物事をはっきりと話す第一印象に強さを感じられて、当時企画担当者としてなら対等にやりとりできたけれど、プライベートで会っていたらそのパワーに圧倒されていたんじゃないかなと思う。心の成熟度が違いすぎたせいだと思う。その後コミュニケーションを重ねていくと、面倒見の良い姉御肌の面や謙虚で努力家な面を知って展示を終えた後も時々やりとりしている。(きっかけはMさんがくれるのだけど)
今日は私がすべきことの手助けをするようにタイミングよく連絡をくれて驚いてしまった。「2019年は整理して、的を定めて進んでいくように。行動は元気よく大胆に。全てにおいて謙虚な気持ちで感謝を忘れずに」と言われたのがとても心に響いた。

2019/02/03

善意ってなんだろう

いつもの通り道で橋を渡る。朝の澄んだ時間と、夕日が落ちかけている時間のその橋から見る景色が好きだ。片方は工場地帯、反対はもう海へとつながっている。岸にはボートがいくつも並んでいて、時には丸太が転がっている。コンテナが積み上がっていて、その奥にぼんやりと、時々くっきりと立山連峰が見える。ちょっと異国に来たような気持ちになる、この寂れた町が結構気に入っている。

昨日の帰り道はもう暗くなっていた。その橋を渡り道がカーブし始めたころ、歩道側ではない橋の脇に人がいるのを見た。リュックを担いだ人が一人、ちょうどしゃがむタイミングだった。普段なら考えられないところに人がいたので驚いた。一瞬のことで状況を把握できなかったけれど、暗かったから写真を撮っているようにも見えなかったので(本当はそうだった場合もあるのかもしれないけど、例えば気分が悪くなったとか、何かに追い詰められているとか?といろいろ想像し始めて)近くの交番に連絡をした。30分から1時間ほど経って、対応してくれた警察の方から連絡があった。現場に行ってみたけれど誰もいませんでした、とその方は淡々と話した。連絡したことが余計なことだったのでは?と感じさせるような声のトーンだった。両さんのような警察官って漫画の中のキャラクターでやっぱり威厳があって怖くて近寄りがたい存在だなぁと思わされた。

自分が正義感が強いとは思っていないし、適当なところもいっぱいあるし、全然できてないことだらけで、この1回やったことを持ち出す時点で小さい感じだけど、でも私は嘘を言ったわけではないし、困らせたかったわけでもない。目の前にあることを全部は拾いきれなくても、自分の心に引っかかったものについて考えること、小さな行動をするだけでも何かが変わると信じたい。少なくとも、見逃していた自分からは変われそうな気がする。

2019/02/02

戦友

まだリースを作っていることを知っている人がかなり少ないころ、Eちゃんは当時20代前半だった。私にオーダーしてくれる人の中では最年少だったのではないだろうか。周りにあるものは全て敵ってくらいに斜に構えて、ちょっとエキセントリックな雰囲気を感じさせた。贈り物をしたい時はよく声をかけてくれた。陰ながら私の花の活動も応援してくれていることや、彼女の繊細で思いやりがある純粋な性格がだんだんとわかってきた。それから数年経ち、初めて会った時とは別人ではないかと思うほど明るくなって、自分のことをハキハキと話してくれた。彼女は過去の自分と向き合い、そのおかげで本当にしたいことを明確にして今は「学びたいことがあるから大学にいきたい」と夢に向かって走っている。

結婚や出産、キャリアを積んだEちゃんの友人たちが自分の目線やものさしで彼女へ伝えるアドバイスは、やっぱり年齢や性別、社会のイメージから来るものもあると感じた。私の中にも根深いところにはまだまだそういった価値観が残っているとは思うけれど、100%の気持ちでエールを送れたのは「言葉」に支えられることがあるのを実感したばかりだから。いつも側にいてくれることや頻繁に連絡を取ること、甘えられる関係が支えとなるすべてではない。私が泣くほど嬉しかったように、目の前で涙する彼女もまた、きっと不安な気持ちはもちろんあって、でも自分に嘘をつかないために、後悔しないためにその生き方を自分の意志で選んでる。進む道は違うけれど、きっと戦友ってこんな感じかもしれない。

2019/01/29

mature / マチュアな人

頭の中にある考えと胸の中に閉まってあった気持ちを並べた。並べた状態を傍観できるということは、自分の感情を認めて落ち着いているということだから、知らなかった感覚に出会った感じだ。感情的にならず、物事を少し自分から離すことによって、いろんな角度から見てみることができる。意識をコントロールできる精神力を自分のものにするためには受け入れること、認めることから始めよう。大坂なおみ選手、本当に凄かったな。感動して涙が出た。

2019/01/26

リズム

なんだか自分が少し不気味なくらい落ち着いている。雪が降って真っ白になった今日の景色みたいに心がしーんとして、意地をはっている訳ではなく、冷静に考えるために、相手の存在を自分の中で確かめている。

苛立ちと悲しさがあふれた後、最優先に考えていること、歩幅が違うのだとだんだんと気付いてきた。盲目になっていた自分から解放されて、やっと本当はどんな風に花と向き合い、どんな風に続けて生きていきたいかを想像しはじめた時、他人の人生に無理にすり合わせようとしたり、周りの意見に振り回されていたように思えてきた。

その一方で、相手の心情を全く察することができていなかったのかなとも振り返っている。元気づけようと仕事の合間をぬって顔を見せてくれた相手に、風邪で休んでベッドにいるとあれこれと思いを巡らす時間が増えてしまって(しかもよいイメージを膨らませれてない時。)そのまま思っていたことを話してしまったため、相手にとっては唐突すぎたかもしれない。いつかはクリアしないといけないことなのは、きっと相手も十分理解しているはずなのに。一緒に歩いていく歩幅、リズムを感じれていなかった。

心でわかり合える(と思っている)友人が、アウトプットしたら無意識の具現化に近づけるよと言ってくれた。「無意識の具現化」はここ最近自分の中ではキーワードになっている。自分が意識していない潜在的なイメージを呼び覚ましたい。

今年はなるべくブログを書く、も小さな目標に加えよう。

2019/01/25

涙が出るほど嬉しかったこと

昨日は咳がひどくて病院へ行き薬を処方してもらった。今日はその薬のおかげで咳は随分楽になってきたが午後から胃が痛くなってきて帰宅してからも治まらなかったので食事を取らないことにした。納品の唐辛子魔除けスワッグをお渡ししてからしばらく本を読んだり、ネットサーフィンをしていた。それから身体をリフレッシュさせようと湯船にお湯をはり、友人からお土産でもらった草津の薬草入浴剤を入れて温まった。胃が痛いのは少し緩んでも何かを食べたい感覚がない。ただ、断食効果か妙に思考がクリアというか、やっと今スタート地点に立って、物事を考え始めれそうな感覚。

ソファに座りながら横に目をやると、菊が花瓶にもたれかかりながら少しだるそうにしているように見える。ストーブをつけると部屋の中がすっかり暖かくなってしまい、昨年末からいたこの菊もいよいよ頭が重たくなってきたようだ。
花は茎が大事、と尊敬する方が言っていた。よく見ると茎に元気がなくなっている。花の姿はそれほど変わっていなかったのに。

見えることと見えないこと。
普段言わないけれど、わかっていたり考えてくれていたりするかもしれない。
そんな風に昨日ぶつかってしまった相手のことを考えていた。

そう思っていたら、とっても大好きなお花屋さんのオーナーの方からメールのお返事がきた。
今、涙が溢れているけれど、綴っていた途中だったので勢いに任せて書いてしまおう。

移転される前の、小さなお店に行ったのは今から6年(もっと?)くらい前だと思う。花束を作るワークショップ。好きなお花を選んで、束ね方を簡単に習って、あとは自分が納得するまでやってみた。何が正解かわからなかった。でも花の力なのか、ずっと来たかった場所に来れた嬉しさで舞い上がっていた。(おそらくお直しもされなかった気がする。出来が良かったからではないと思うけど。笑)できたらエコゼリーで保水して茶紙でラッピングしてもらった。憧れの人で、恥ずかしくて、あと自分が花をやっていくことも、そもそも自分自身に自信がなさすぎて、全然話せなかった気がする。
それからいつもその方のブログを読んだり、HPを見たりして勇気をもらいながら自分がやりたいことってなんだろうと考えて、夢中で花を触っているうちにいつの間にか声をかけてくれる人が出てきて、とにかくがむしゃらで、作るのもオーダーの内容から自分のフィルターで想像するのも楽しくて仕方なかった。その当時の純粋な気持ちだけでは今はできていなくて、でもそれって当然のことかと思うけれど、いろんな意見や考えの中に溺れてしまいそうで、ついにその方にメールをしてしまった。

こちらの事情は詳しくわからなくても、丁寧なお返事とエールが伝わってきて本当に嬉しかった。
私はこの今日のスタート地点から諦めずに自分に後悔しないで生きることに純粋になっていこうと思う。


 12月末からある菊。


2019/01/24

気づきかけたもの

風邪を引いたまま東京に行ってきた。絵本に携わる仕事をしてきて6年。ちひろ美術館には前々から行きたいと思っていて、生誕100周年に合わせて色々なアーティストとコラボした展示の最後が写真家の長島有里枝さんだったのでもう今しかないと思った。
ちひろの絵は昔はただ優しく可愛らしいものだと思っていたけれど、絵を描き続ける信念と愛が作品に込められていると感じて見方が変わった。力強く、優しくたくましく、自分を信じて生きた様に勇気をもらう。
長島さんの写真は自分の息子さんが生まれて大きくなっていく過程を展示してあり、アルバムを開いているような気分だった。これはきっと、普遍的な母からみた子を想う目線、愛だなと思った。そして写真を見ていると自分の小さかった頃とリンクして、自分がどんな風に育てられたかなと母を思った。展示室の真ん中に直筆の日記があった。子供を育てる母の心と、作家の心と、女性の心、いろんな心が混ざり合った、嘘のない言葉が綴られていた。人間らしくて、生きることに誠実で必死で、カッコつけているんじゃなくて、芯が通っていて、だからとってもカッコよかった。
勇気付けられて帰ってきたわたしは自分の迷っていたこと、見てきたもの、感じたことなどを抱えてまた考えて、それなのに今は自分自身がわからなくなっている。いろんな意見を聞くうちに、自分が自分を幸せにすることも純粋に思っていたこともなんだかぼやけてしまっている。あの時の勇気と気づきかけたシンプルな感覚は何だったのだろう。答えは簡単に出ない。

2019/01/21

言葉にならないものを具体化する

先週くらいから風邪をひいて、熱は下がり、咳と鼻水が続いている。咳をするとイガイガしたところを震源に身体中に振動が起きる。背中を後ろから思いっきり叩かれるような感じ。咳がおさまった後は身体にくる疲れ。久しぶりに長引いている。

このような身体に起きる変化、痛みを図式化して表したアーティストが富山にいることを知ったのは昨年行った「HEARTの中のART」というアール・ブリュットの展示だった。この展示は「アート工房NPO cocopelli」や「ばーど◎とやま」という団体でアール・ブリュットのアーティストを支援したり、広めている米田さんが企画しておられた。わたしはここ5年ほどある施設内のギャラリースペースの展示・企画の仕事をしていて、毎年cocopelliに所属しているアーティストに展示をしてもらってきた。色々な作品を見るたびに、大胆な色使いや筆使い、思いもしないような表現方法に心を動かされる。米田さんとの出会いがアール・ブリュットの世界への扉を開いてくれた。

その痛みなどを図式化しているアーティストは作品を発表するために描きつづけている訳ではなく、自分の身体における変化、症状、痛みと向き合い、折り合いをつけるために毎日記録しているというものだった。美術教育を受けていない人が独自の表現方法で作品を作るアール・ブリュットの魅力がここにあるのだと思う。米田さんもこのアーティストとの出会いは本当に衝撃だったと熱を込めて作品を見ながら紹介してくださった。

去年、cocopelli所属の島雄介さんの作品を購入させてもらった。A1サイズほどの紙に隙間なく色鉛筆で塗られている。島さんは旅先の景色や旅行の日程などを事細かに記憶していて、その記憶を元に絵を描いていくアーティストだ。建物が得意(すき?)で自分では建築物や道路を描くことが多いがリクエストがあれば動物や花なども描いている。わたしはたくさんの作品の中から大胆な構図で描かれた羊の表情と色のバランスが絶妙に良かった一枚を選んだ。だがあまりに大きくて飾る壁がないせいでまだ額も探せていない。





 ※写真は全てHEARTの中のARTで展示されていたもの

2019/01/19

新しい方程式

相談ごとがあって頼れる存在の友人に連絡し、年明けから食べてないものを聞かれて焼肉をリクエストした。今日は飲まないでおこうと思っていたけれど、「焼き肉食べるのにビールなしとかないだろ!代行使え!」と言われてあっさり折れた。(特に飲まない理由もなかったけれど、帰ったら制作しなきゃな~とか思うと自制してしまう。つまらない女だ。)

久しぶりの生ビールが美味しく感じられナムルもりあわせをつつきはじめたころ、男性客2人が入ってきて「予約をしたんだけど」と言っているように聞こえた。すでに満席になっていて、私達が通されたところが空いていた最後のテーブルだったから少し気まずくなった。店主がすぐに男性客2人を店の外に連れて行ったので、目の前でなにもおこらなかったことにほっとした。店主が予約があったことを忘れていたとしたら、あの男性2人には申し訳ないことをしたな。

片手にビール、片手にトング、焼き奉行をしながら友人の話に耳を傾けて、これから自分がどうしていくかについて改めて考えた。自分のことは理解できているようでできていない。深く考えすぎる前に一歩出る勢いと、石橋を叩いて渡らない性格がこの先を定めてくれない時は自分をよく知る友人に意見を聞いてみるのもいい。ときには立ち止まらせてくれるアドバイスや、普段は反応することのない部分にチクリと刺激をくれたりする。自分でもコンプレックスの一つに真面目な性格があって、今まで付き合ってきた彼氏にも会った友人にも「真面目だよね」と言われた。それは決していい意味で言っていないように聞こえる。なんというか、こう、突き抜け感、アンバランスさ、ユーモア。そういうものが足りなくて、いつも小ぎれいにきちんとまとまってしまう。そこは自分でもなんとなく感じている部分。真面目 =つまらない。この方程式がずっとある。このコンプレックスに何かを足し引きしたり、かけあわせたり割ったりしたら新しい世界が見えるかもしれない。新しい方程式、これから作るぞー。

2019/01/15

会って話をしよう

韓国帰りの友人と2人で年初めの新年会。飲めない彼女と飲めるけど運転手の私、一杯目はノンアルコールのスパークリングで乾杯。蜂蜜のような甘い香りがフワッと広がった。家でも飲みたいと思って名前を店員さんに聞いてから帰ろうと思っていたのに、おしゃべりに夢中になって聞くのを忘れたことに気付いた。

東京と富山を行き来しながら、いろいろディレクションしたりコーディネートしたり、時にはフードケータリングしたりと何しているのか一見わからないのがMちゃん。共通の知人から名前は聞いていて、(Mちゃんも同じように私の名前を聞いていたらしい)去年ENIGMEで閉店を惜しむように開かれた「最中の会」でやっと会えた人だ。巡り巡っても会える人には会えるのかも。

ここ数年で友人たちの結婚出産など生活スタイルの変化、自分も制作と仕事とパートナーとの時間などいろんなことが変化していって出不精になってしまったし、自信のなさや不安と恐怖からネガティブ思考になって殻の中に閉じこもって抜けられなくなってしまうので、そういうところを克服したい気持ちがある点でも、颯爽としているMちゃんが私に通してくれる風は嬉しいしありがたい。今年はできるだけ人と会うようにしよう。



2019/01/11

行ったり来たり

浮かんでくるいいイメージと想像がつかない未知の世界を行ったり来たりしながら、自分に言い聞かせていたことは単に見ないように蓋をしていたのだと気づかされて、不安の方がどんどん押し寄せてきた。本当は足がひるんでいる。でもずっと同じ自分にも飽き飽きしている。心の奥にいる自分がソワソワして落ち着かないけどこの感覚はたとえ人に話してみたからといってなくならないし、こういう気持ちになるって予測できるはずで、それなのにいつも実際その状況に自分を置かないと実感できないんだよな。

2019/01/07

覚悟ができるか

年末年始に実家でゆっくり過ごしすぎてしまって、今年の仕事始めはいつになく億劫だった。本当は年内に制作し終えていたらよかったなぁと思うオーダーのいくつかを年明けの納品に伸ばさせてもらった。クリスマスリース、注連飾り、結婚式で渡すお祝いなど期限が決まっているものから取り掛かっていると時間が追い付かなくなってしまって、甘えた形になったのだけど、ひとつひとつ丁寧に作りたい気持ちを優先させてもらった。

花の制作ともう一つの仕事をやり続けてきたけれど(といってもオーダーが全然ない時期もあったから、花の制作はほぼ趣味というか好きなことをさせてもらって遊ばせてもらっているような感じで、体を壊したことがきっかけで花から離れた時期もあった)この2年ほどは毎日その日暮らしのような時間の使い方で、家事の時間を削り(料理はほぼ放棄して)、睡眠時間を減らして制作していた。とても丁寧とはほど遠い生活で、偏頭痛も頻繁になり頭痛薬が手放せなくなってしまった。変えるなら今かなと思い、新年にゆーみんとの書き初めで「覚悟」と書いた。年始に両親とパートナーと4人で食事をしたときに父が私たちへ「人生は覚悟ができるかどうかだよ」と言った。それがとても心に残ったから。いろいろな変化が起こりそうな予感がする。ハッピーなことも、つらいこともあるかもしれないけれど、自分が決めたことなら納得できる。人のせいにしたりしないから。