2018/12/05

    

青葉市子のライブがとてもよかったことを記録しておこうと思う。
 
リリースされた最新アルバム「qp」を聴きながら最近過ごしていた。映像はyoutubeで細野晴臣の「悲しみのラッキースター」のカバーをみたことがあるくらいだったしライブも未体験だった。透き通る声とギターの音色を、制作中やただ考え事をしているときにBGMに流していた。
 
知識もさほどないまま迎えたライブは本当にいい意味で衝撃だった。
 
妖しげにひっそりと登場し、静かに腰かけ、動作ひとつひとつゆっくりと行われ、観客の視線を一瞬で集めた。隣に立つスタンドライトでぼんやりとみえる美しい服はmameのものだった。
何曲か続けて歌う声や姿にだんだんと吸い込まれていった。儚い妖精のようにも見えるし、どこかに誘う使者にも見えた。少女のように可愛らしくも、色気のある魔女のようにも見えた。CDを聴いていたときには想像しなかったような歌う姿とその場の空気に何度も衝撃を受けた。
 
あの時の感覚は言葉にすることはとても難しく、またCDをその後何度聴いても同じような感覚にはなれない。ライブの充実感や満足感だけで片付けられないような、すぐに消化することができない気持ちが残っていた。少し浮遊したようにふんわりとつつまれているこの不思議な感覚は誰かと会話するほど現実に引き戻されそうで、足早に帰った。
 
もちろん同じになれなくて当たり前だけれど、あれは青葉市子の魔法にかかっていたのだと思う。あのお座敷はまるで青葉市子の「月の丘」のように招かれた場所だったのかもしれない。月の栄養になっていく、呼ばれた人たち。魔法をかけられた、元の場所へ帰っていくわたしたち。
 
2度とない一夜限りの夢の後、現実に引き戻されることを覚悟して、着信のあったパートナーに折り返し電話をかけた。その時に、本当に相手を愛おしく大切に思えた。ここしばらく、小さなことに腹を立てたり、些細なことが目についていたことを流すことができていた。23度の冷房から出てきた妖精が丸めてもっていってくれたのだろうか。
 
優しい気持ちがずっと残って、余韻が続いている。
小さくなっていた自分の世界に風と通してくれたように思う。