2019/02/14

誰のものでもない

ある日Tさんから電話がかかってきた。今年仕込んだ生ハムがあと2ブロックになって誰かに分けたいと思ったら、ちょうど私からの手紙が届いたのだそうだ。Tさんは国語教師の定年後から趣味でゴム判子絵を制作している。出会ったのは3年前で、私が企画担当していた展示にきてくださりご自身の作品を見せてくれたのがきっかけだ。名刺サイズの作品に詩的で独特の世界が広がっている。擬音語が混ざっているリズムの良いタイトルは口に出してみたくなる。多いものでは1作品に20種類の版があるそうだ。新聞記事の写真や週刊誌の広告、いつも作業しているダイニングテーブルから見える景色など作ってみたい題材があちらこちらにあると言う。

Tさんは生ハムを少しスライスしてくれ、他にも作ってあったハツのアヒージョや鯛の子の煮付けを小鉢に入れてくれた。昼間から飲みたくなるようなメニューだった。コーヒーに少しだけウイスキーを入れて、その後は焼酎を飲みながら話してくれた。

「70歳になってもなお制作意欲が消えることなく、目も元気なおかげで緻密な作品を作り続けられる。(会った時点で477点のゴム判子絵ができている)10日間ペースで作品が完成していくのだけど、ここまで作り続けれる自分、その意欲が湧き出るところはどこなのか、このような自分に自分自身がなりたいと思ってなっている訳でもなく、両親がこのようにした訳でもないんだなぁ…」と不思議そうに言う。「いろんな景色を見たり、人から聞いたり、書物を読んだり、そうして蓄積されたもので自分が成り立っていると思うと、自分の頭の中にあることや考えていることはどこかから誰かからもらった知識だったりするからそう思うと自分自身が持っているものとはさほど何もないんじゃないかと。考えていることは自分だけのものではないような気がするんですよね。だからだんだんとこの体も借り物のように思えてくるんですよ。西洋で言うならば...God、神が作ったとでも言うんですかね。」

流れに逆らわず、されど流されず。肩の力が抜けていて言葉に淀みがなかった。この共有している時間が奇跡のように思えた。帰りに新作を一枚くれた。手帳に挟んでおいた。生ハムは近日中に食べよう、美味しいワインを買って。